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  <title>今日の知恵</title>
  <tagline>充実した人生を歩むためのヒント</tagline> 
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  <modified>2008-07-06T00:44:03</modified>
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  <title>健康な心に感謝を</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10360254.html" /> 
  <issued>2007-06-20T10:39:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		イマヌエル・カントは、<br />
貧しい製鉄打ちの家に生まれました。<br />
<br />
病弱な体質で、１７歳の頃までは、<br />
毎日「苦しい、苦しい」とわめき散し、<br />
やっと生きているという有様でした。<br />
<br />
医者にかかる機会も無く<br />
年に２〜３回、町の巡回医に<br />
やっと診て貰らうという状態でした。<br />
<br />
あるとき、村に医者がやってきました。<br />
<br />
父親は、カントの持病が治らないとしても、<br />
その苦しさを軽く出来ないだろうかと<br />
医者に相談しました。<br />
<br />
医者は、カントの顔をじっと見てから<br />
このように言いました。<br />
<br />
「気の毒だな君は。<br />
　しかし、それは体だけのことだよ。<br />
　心はどうにもなっていないよ。<br />
　確かに苦しいだろう。<br />
　しかし、辛い、苦しいと言った所で<br />
　それが治るわけではない。<br />
　どうだい、その辛い、苦しいと言うその口で<br />
　心が丈夫なことを感謝し、<br />
　喜ぶことができないかね。<br />
　心が丈夫なおかげで<br />
　これまで生きてこられたのだからね。<br />
　心を感謝と喜びで満たしてごらん。<br />
　これが、君に与える私の診断だよ。」<br />
<br />
今日から、辛い、苦しいと言うことは止めよう。<br />
<br />
すると不思議なことに、今までの苦しさに代わって<br />
生きてゆくことの喜びが感じられるようになって来ました。<br />
<br />
そして、持病持ちの体と丈夫な心の関係、<br />
心と体とはいったいどちらが自分なのかという<br />
哲学することの始まりとなりました。<br />
<br />
医者の一言によって、<br />
カントは世界的な大哲学者となるきっかけを<br />
つかんだのでした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>英語に挑戦</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10359585.html" /> 
  <issued>2007-06-19T07:38:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		一万円札の肖像画として、<br />
あるいは慶應義塾大学の創始者として<br />
よく知られている福沢諭吉。<br />
<br />
彼は大阪の緒方洪庵の塾で、<br />
オランダ語の読解に励みました。<br />
<br />
そして大いに自信をつけた諭吉は<br />
江戸に出ることを決心しました。<br />
<br />
「江戸でオランダ語を教えるのだ！」<br />
<br />
そして江戸でオランダ語の大家先生の<br />
実力を試して歩き回りました。<br />
<br />
表向きは教えを請うふりをし、<br />
翻訳の厄介な原文を持ち出して、<br />
江戸の学者を困らせて、<br />
ひそかに得意がっていたのです。<br />
<br />
ある日、諭吉は横浜見物に出かけましたが、<br />
なんと自慢の鼻をいっぺんに<br />
へし折られてしまったのです。<br />
<br />
横浜の外国商人には諭吉のオランダ語が<br />
まったく通じないばかりでなく、<br />
相手の言うことさえ理解できないのです。<br />
<br />
店の看板はおろか、チラシさえも読めない。<br />
<br />
どこを見渡しても、<br />
諭吉が知っている文字が見当たらないのです。<br />
<br />
オランダ語にすべてを賭けて来た諭吉は、<br />
お先真っ暗な気分に落ち込んでしまいました。<br />
<br />
しかし翌日には、諭吉はもうすっかり<br />
オランダ語にあきらめをつけていました。<br />
<br />
これからは英語の世界なのだ。<br />
世界の大勢は、英語だ。<br />
<br />
それからというものは、<br />
初心に戻って発音を習うのなら、<br />
先生は子供でも漂流人でも誰でもかまわない。<br />
<br />
あらゆる手づるを使って、<br />
英語の習得に全力を注ぎました。<br />
<br />
古いものにいつまでもしがみつかない、<br />
この思いっきりの良さと、すばやい方向転換、<br />
そして蒸気機関車のような行動力が<br />
諭吉の将来を切り開いていったのでした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>大幅な賃上げで働く喜びを与える</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10359203.html" /> 
  <issued>2007-06-18T14:06:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		Ｔ型社の成功で、フォード社が目覚しい発展を遂げた頃、<br />
フォードが工場内を見回っていると、<br />
工員同士が大喧嘩をしている光景に出っくわしました。<br />
<br />
いい年をした大人が、<br />
なぜつかみ合いの喧嘩をするのだろう。<br />
<br />
フォードはわびしい思いにとらわれましたが、<br />
先日の人事担当者からの報告を思い出しました。<br />
<br />
ある熟練工の作業能率が急に落ちたので<br />
事情を調べてみたところ、<br />
貧しい家庭生活と関係があるというものでした。<br />
<br />
工員たちの生活条件が悪いから、<br />
つかみ合いの喧嘩をしたりするのだ。<br />
<br />
一日１ドルや２ドルの賃金で、<br />
人間らしい生活なんかできやしない。<br />
<br />
工員たちの協力で得られた利益を<br />
彼らにも平等に分けてやるのが本当だ。<br />
<br />
それからフォードは重役会議を開き<br />
工員の賃金を大幅にアップしたいと提案しました。<br />
<br />
すると重役たちが難色を示し、<br />
一人が皮肉たっぷりに言った。<br />
<br />
「次は日給４ドル７４セントになり、<br />
　多分その次は５ドルになって、<br />
　会社は倒産ということになりますかな。」<br />
<br />
そこでフォードは切り返しました。<br />
<br />
「５ドルか、それはいい。<br />
　では、５ドルに決まった。」<br />
<br />
こうして、２２歳以上の工員の日給の最低が５ドル、<br />
２２歳以下でも扶養家族がある者は同額ときめ、<br />
勤務時間をそれまでの１０時間２交代制を<br />
８時間２交代制としました。<br />
<br />
その効果が大きく表れました。<br />
<br />
工員たちは働くことに喜びを見出し、<br />
能率が驚くほど上がりました。<br />
<br />
これは２０世紀初期の出来事ですが、<br />
自ら労働者の賃金アップを心がけたフォードの発想は、<br />
国境を越えて、その後の労働者の待遇改善のモデルとなりました。<br />
<br />
企業利益が膨らんでも、従業員へ還元しようとも思わない<br />
今日の経営者とは大きな違いですね。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>人生のゴール</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10359001.html" /> 
  <issued>2007-06-18T07:19:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		アンドリュー・カーネギーは<br />
１３歳のときにスコットランドから<br />
家族と共にアメリカにやってきました。<br />
<br />
負けず嫌いのカーネギーは、<br />
電報配達や、電気工場で少年工として働き、<br />
次第に実業家として身を立て<br />
ついには世界最大の<br />
「カーネギー製鋼会社」を作り上げ、<br />
鉄鋼王といわれるまでになりました。<br />
<br />
しかしこれがカーネギーの<br />
人生のゴールではありませんでした。<br />
<br />
彼はさらに社会事業に出資し、<br />
カーネギーホール、研究所、図書館、<br />
学校などを設立しました。<br />
<br />
人生のレースの途中で休むことなく、<br />
最後まで社会のために尽したのです。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>人生の達人</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10358759.html" /> 
  <issued>2007-06-17T15:30:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		シェイクスピアが２２、２３歳ごろ、<br />
妻子をイングランドの田舎に残し、<br />
ロンドンに出てきました。<br />
<br />
子供の頃父親が事業に失敗したため学校を辞め、<br />
家のために働き続けたシェイクスピアには<br />
学歴も資格もありませんでした。<br />
<br />
それで、まともな仕事にはありつけず、<br />
ある劇団の馬番になりました。<br />
<br />
舞台で役者が芝居を演じているのを見て、<br />
おれも役者になろうと決意し、<br />
演技の指導を受けて舞台に立ったものの<br />
あまりぱっとしません。<br />
<br />
それで今度は劇作家に方向転換。<br />
<br />
こんどはめきめきと才能を発揮し、<br />
２６歳ごろには新進劇作家として<br />
知られるようになりました。<br />
<br />
しかし、子供の頃から苦労をしてきたので<br />
考え方も、生活態度も堅実でした。<br />
<br />
名声におぼれ、贅沢な生活を送り、<br />
しかし悲惨な晩年を迎えている作家たちの<br />
話を聞いたり見たりしてるシェイクスピアは<br />
綿密な生活設計に取り組み始めていました。<br />
<br />
故郷に自分の土地を持ち、家を建て、<br />
劇場の株を買い、着々と引退後の準備を<br />
固めていました。<br />
<br />
そして、４７歳頃に思い切りよく劇作家を辞め<br />
故郷に帰って安らかで豊かな生活を送りました。<br />
<br />
舞台では、悲惨な人間の悲喜劇を描く傍ら、<br />
自分自身はしっかりと人生設計を<br />
実現に向けて準備していたのです。<br />
<br />
まさにシェイクスピアは、<br />
人生の達人と言えましょう。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>劣等感を克服する</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10358589.html" /> 
  <issued>2007-06-17T08:05:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		ニュートンの少年時代は<br />
物を作ることが好きだったので<br />
それに熱中するあまり、<br />
学校の勉強は怠けていました。<br />
<br />
それで成績が悪かったので、<br />
クラスでは劣等性として<br />
みんなから馬鹿にされていました。<br />
<br />
ある日ニュートンは木辺を使い<br />
本物そっくりの水車を作りました。<br />
<br />
近所の人達が感心するので<br />
学校へ持って行って、みんなに見せると<br />
クラスメートたちは感心し<br />
ニュートンの器用さを<br />
口々に褒め称えました。<br />
<br />
ところが、クラスの主席の少年だけが<br />
こういったのです。<br />
<br />
「ふん、確かに良くできているね。<br />
　本物そっくりだ。<br />
　ところで、この水車が動くのは<br />
　どういう理論によるのか<br />
　説明してくれないかね？」<br />
<br />
「・・・・・」<br />
<br />
日頃の不勉強がたたって、<br />
ニュートンは説明できませんでした。<br />
<br />
秀才少年は鼻でせせら笑って言いました。<br />
<br />
「おい、理論的に説明できなきゃ<br />
　学校で勉強している意味が無いな。」<br />
<br />
怒りのあまり、ニュートンは<br />
天才少年の腰を嫌というほど<br />
蹴飛ばしました。<br />
<br />
そうすると、いままで感心していた<br />
周りの少年たちも、<br />
ニュートンのことをバカだと<br />
ののしり始めたのです。<br />
<br />
この屈辱にニュートンは悔し泣きに泣き、<br />
机の上にうつぶしてしまいました。<br />
<br />
しかし、その翌日からニュートンは<br />
生まれ変わったかのように<br />
勉強に打ち込むようになりました。<br />
<br />
そしてまもなく、あの自分を馬鹿にした<br />
秀才少年を追い越して<br />
クラスの主席を占めるようになりました。<br />
<br />
「あのとき馬鹿にされなかったら、<br />
　私は学問の道を歩むことは無かったろう。」<br />
<br />
晩年、ニュートンはこのように述懐したそうです。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>過食</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/b/10358310.html" /> 
  <issued>2007-06-16T16:23:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		車産業で一躍大金持ちになったフォードは、<br />
小食と適度な運動と新鮮な空気を<br />
健康管理のモットーとして守り、<br />
スマートな体形を保っていました。<br />
<br />
富豪家が肥満型になる実業界にあって<br />
フォードのスマートな体形は珍しい存在でした。<br />
<br />
ある日、パーティーに出席したフォードが<br />
テーブルにつき、周りを見渡すと<br />
肥満の紳士ばかりでした。<br />
<br />
一座の一人がフォードの細い体形を<br />
話題にしたとき、フォードが言いました。<br />
<br />
「生活してゆくのにどれだけの量の<br />
　食べ物が必要かといえば、<br />
　まあ皆さんが毎日お食べになっている食物の<br />
　半分もあれば十分だと思いますね。」<br />
<br />
それを皮肉と感じた一人が、応報しました。<br />
<br />
「そうしますと、残った半分は、<br />
　いったい何に使われるのでしょう？」<br />
<br />
フォードは少し考え込んでから、<br />
にっこり笑いながら答えました。<br />
<br />
「そうですね、<br />
　きっと医者が生活をするのに<br />
　使われるのでしょう。」
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>心を鍛え人間を鍛える</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10358091.html" /> 
  <issued>2007-06-16T08:13:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		加納治五郎が柔術を学ぶ決意をしたのは<br />
東京外国語学校（東京外国語大学）の<br />
学生の頃でした。<br />
<br />
治五郎は小柄で、<br />
体はあまり丈夫ではありませんでした。<br />
<br />
柔術で体を鍛え、大きな人にも負けない<br />
力と体を作りたい。<br />
<br />
学問では自信があったので、<br />
体のほうでも自信を持ちたかったのです。<br />
<br />
１８７７年、治五郎は東京日本橋の柔術家<br />
福田八之助宅を訪れ、それ以来、毎日<br />
稽古に通いました。<br />
<br />
稽古は厳しいものでした。<br />
<br />
手足の傷が絶えることが無く、<br />
古い傷が治る前に新しい傷が出来る<br />
というありさまでした。<br />
<br />
手足のどこかに、いつも万金膏（まんきんこう）<br />
というこうやくを貼り付けていたので、<br />
いつの間にか学友たちから、<br />
「万金膏の治五郎」という<br />
ニックネームがつけられてしまいました。<br />
<br />
こうして治五郎は柔術を習得すると、<br />
創意工夫を加えて、<br />
新しく柔道を完成させました。<br />
<br />
東京外国語学校を卒業してから<br />
東京帝国大学に進み、卒業後、<br />
学習院の教官になりました。<br />
２２歳の時でした。<br />
<br />
それから下宿していた下谷の永昌寺で<br />
「講道館」という塾を始めました。<br />
<br />
そこで治五郎は、英語、漢文、<br />
さらに柔道を教え始めました。<br />
<br />
治五郎は門人たちに語っています。<br />
「柔道を学ぶのは、技をおぼえ、<br />
 体を鍛えるだけでなく、<br />
 心を鍛え、人間を鍛える"道"を学ぶためです。」
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>時は金なり</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10357265.html" /> 
  <issued>2007-06-14T18:16:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		Time is money（時は金なり）とは<br />
フランクリンが言った言葉ですが、<br />
それを説明するこのようなエピソードがあります。<br />
<br />
フランクリンは若い頃、<br />
印刷所と書店を兼ねた店を経営していました。<br />
<br />
ある日、身なりの立派な紳士が店にやって来、<br />
書棚を見渡してから、一冊の本を手にし、<br />
店員に聞きました。<br />
<br />
「この本はいくらだね？」<br />
<br />
「はい、２ドルです。」<br />
<br />
「少しまけてくれないか。」<br />
<br />
「この店では値引きはしていません。」<br />
店員は、はっきりと断りました。<br />
<br />
すると客が尋ねました。<br />
「フランクリンさんはいらっしゃいますか？」<br />
<br />
「印刷所のほうに居りますが、<br />
　とても忙しくしておられますので、<br />
　お会いできる時間は無いと思います。」<br />
<br />
「いや、少しの時間でいい。」<br />
<br />
しかたなく店員が取り次ぐと、<br />
やがてフランクリンが顔を出しました。<br />
<br />
「この本は２ドル以下になりませんか？」<br />
<br />
「それでは２ドル５０セントでお売りしましょう。」<br />
<br />
客は機嫌を悪くしました。<br />
「店員は２ドルと言いましたが・・・」<br />
<br />
「確かに定価は２ドルです。<br />
　しかし、私にとっては、<br />
　いま２ドル５０セントで売るより、<br />
　先ほど２ドルで売っていた方が<br />
　儲かっていたのです。」<br />
<br />
客はその意味がわかりませんでした。<br />
「ふざけないでもらいたい。<br />
　いくらになら値引きしてもらえるんだ。」<br />
<br />
「では３ドルにいたしましょう。」<br />
<br />
「どういうわけで、同じ本に<br />
　３種類の値段がつくのかね？」<br />
<br />
「それは、時はすべて金だからです。<br />
　失礼なことを申し上げますが、<br />
　私はあなたの無知によって、<br />
　お金以上に貴重な時間を無駄にしたのです。」<br />
<br />
客はようやくフランクリンの意味がわかり、<br />
３ドル支払いました。<br />
<br />
フランクリンはその中から１ドル返し、<br />
「おわかりいただけたのなら、<br />
　今日は定価どおり２ドルでかまいません。」<br />
<br />
晩年フランクリンが科学者として、政治家として、<br />
著述家として、多彩な活躍をし、<br />
アメリカ建国の祖父の一人として、<br />
たたえられるようになったのは、<br />
このように時間を大切にして、<br />
諸事に励んだからです。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>三重苦を乗り越えて</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/p/10356673.html" /> 
  <issued>2007-06-13T17:35:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		ヘレン・ケラーは生後１９ヶ月のとき<br />
激しい腹痛に襲われ、<br />
目と耳の感覚を失ってしまいました。<br />
<br />
それからのヘレンは野獣のように育ちました。<br />
食事を手で食べ散らかし、<br />
気に入らないことがあれば、<br />
手当たり次第に物を投げたり<br />
ぶったりしました。<br />
<br />
両親はパーキンス盲学校の校長を訪れ<br />
その紹介でサリバン女史を、<br />
ヘレンの家庭教師に迎えることにしました。<br />
<br />
ヘレンの教育に当たったサリバンにとって、<br />
毎日が絶望と挫折感の連続でした。<br />
<br />
ある日、サリバンの手を振り切って、<br />
庭に飛び出したへレンが、<br />
水道の蛇口をひねって出てきた水を<br />
両手にすくいながら叫び始めました。<br />
<br />
「ウォー、ウォー」<br />
<br />
いつもの叫び声と異なり、<br />
ひどく感動していることに気がつきました。<br />
<br />
やがてヘレンは水を捨てると、<br />
サリバンの手に「冷たい」という<br />
合図を指で送りました。<br />
<br />
サリバンの目に涙があふれました。<br />
<br />
ヘレンが外界を理性的に把握することが出来たからです。<br />
<br />
これが見えず、聞こえず、離せないヘレンにとって<br />
外部とそして他の人達とコミュニケーションを<br />
もてるきっかけとなったのです。<br />
<br />
やがてヘレンは三重苦を背負った者として<br />
世界で初めて大学を卒業しました。<br />
<br />
その後、世界各地を講演旅行し、<br />
数々の著書を出し、<br />
世界中の人々の希望の星となりました。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>無欲</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10356395.html" /> 
  <issued>2007-06-13T08:38:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		勝海舟、高橋泥舟とともに、<br />
幕府の三舟といわれた山岡鉄舟は<br />
剣術の名人であっただけでなく、<br />
書道にもすぐれていました。<br />
<br />
それで書を頼まれると、<br />
だれかれの区別無く<br />
快く承諾して筆を振るうのでした。<br />
<br />
そのため、一生の間に書いた書幅は<br />
２０万にも達すると言われています。<br />
<br />
書を依頼した人が謝礼をすると、<br />
鉄舟は礼を言って快く受け取り、<br />
紙包みのまま箱の中に入れておき、<br />
お金に困った人が鉄舟を訪ねて来ると、<br />
事情を聞いて、包み紙の中から<br />
お金を出して与えるのでした。<br />
<br />
ある人が鉄舟の無欲さを見て<br />
「先生は書をなさったお礼を<br />
　全部人におやりになるのですか」<br />
と尋ねると、鉄舟は<br />
「私は字を書いてお金を稼ごうという<br />
　気持ちはまったく無い。<br />
　お金に困って私を訪ねてくる者に与えたい<br />
　と思うのでもらっているのです。」<br />
と答えました。<br />
<br />
鉄舟の家の経済状態は、いつも困窮していました。<br />
<br />
それにもかかわらず、<br />
お金の無心に来る人の面倒を見ずにいられない。<br />
<br />
そういった人柄であったからこそ、<br />
多くの人達から慕われたのでしょう。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>気配り</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10355673.html" /> 
  <issued>2007-06-11T21:54:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		「晩鐘」「落穂拾い」で有名なフランスの画家、<br />
ミレーがまだ無名だったころ、<br />
ストーブで燃やす薪も無く、<br />
妻子と共に飢えと寒さで震えていました。<br />
<br />
ある日、親友の・ジャン・ジャック・ルソーが<br />
尋ねてきました。<br />
<br />
ルソーは、「エミール」「告白録」で知られる<br />
哲学者です。<br />
<br />
ルソーは、画室にかけてある一枚の絵を見て言いました。<br />
<br />
「これは素晴らしい傑作だね。」<br />
<br />
「実は、知人から、君の絵が欲しいと頼まれているんだ。」<br />
<br />
「絵の選択は、私に任されている。」<br />
<br />
「よかったら、この絵を譲ってくれないだろうか？」<br />
<br />
「いいとも、よかったら持っていってくれ。」<br />
<br />
ミレーが承知すると、<br />
ルソーは懐から封筒を取り出し、言いました。<br />
<br />
「この代金は知人から預かってきたものだけど、<br />
　いくら入っているかわからない。」<br />
<br />
「でも僕に免じて、<br />
　ここに入っているだけにしてもらえるだろうか。」<br />
<br />
ミレーもまた快く返事しました。<br />
「いいとも。」<br />
<br />
さて、ルソーが帰ってから封筒を開けてみて<br />
ミレーはびっくりしました。<br />
当時のお金で５００フランも入っていたのです。<br />
<br />
ミレー一家は、久しぶりに喜びにあふれました。<br />
<br />
それから数年過ぎて、ミレーがルソーの家を訪ねると<br />
あの絵が居間の壁に掛かっているではありませんか。<br />
<br />
その瞬間ミレーは、ルソーの友情の深さを知ったのです。<br />
<br />
ルソーは友の貧苦を見かねていましたが、<br />
そうはいっても心苦しい思いはさせたくない。<br />
<br />
それで架空の人物に託して、絵を買い取ったのです。<br />
<br />
ミレーはルソーの手を取って、<br />
「ありがとう」と、一言言いました。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>十万ドルを寄付</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/10353986.html" /> 
  <issued>2007-06-07T16:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		アメリカの大富豪、ジョン・モーレーは<br />
書斎で読書をしていました。<br />
<br />
老眼で視力が弱っていたので<br />
ロウソクを二本つけていました。<br />
<br />
そこへ家のものがやってきて、<br />
「お客様ですが、<br />
　応接間にお通ししましょうか」<br />
と聞きました。<br />
<br />
「いや、ここへお通ししてくれ」<br />
<br />
客が書斎へ入ろうとしたとき、<br />
モーレーはロウソクの炎を一本消して<br />
それから応接の座につきました。<br />
<br />
客はこれを見て一瞬たじろいだ。<br />
彼は町の学校の寄付を頼みに来たのですが、<br />
たかがロウソクの一本倹約するようでは<br />
寄付を頼んでも無駄かもしれない<br />
と思ったのです。<br />
<br />
「実は、町の学校の維持費がかなり<br />
　不足をきたしましたので、<br />
　ご寄付のお願いに上がったのですが・・・」<br />
<br />
「それはご苦労様です。」<br />
<br />
「わずかですが、十万ドルだけ<br />
　寄付させていただきましょう。」<br />
<br />
客は耳を疑いました。<br />
ロウソクの倹約ぶりと、<br />
寄付の高額さにあまりにも<br />
差がありすぎたからです。<br />
<br />
モーレーは客の表情からそれを察し、<br />
「本を読むのには<br />
　二本のロウソクが必要ですが、<br />
　こうしてお話しするには、<br />
　一本のロウソクで十分です。」<br />
<br />
「こうしてわずかな無駄でも<br />
　なくすようにしてきたので、<br />
　十万ドルの寄付をすることも出来るのです。」<br />
<br />
と穏やかに言いました。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>富の価値</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/l/10353571.html" /> 
  <issued>2007-06-06T19:35:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		ギリシャの大富豪、アルチビデスが<br />
自分が広大な土地を持っていることを<br />
大哲学者ソクラテスに向かって、<br />
自慢げに話しました。<br />
<br />
ソクラテスは国中にその名を知られた、<br />
人物であるのにもかかわらず、<br />
生活が貧しかったので、見下したのです。<br />
<br />
するとソクラテスは、<br />
一枚の世界地図を取り出して尋ねました。<br />
<br />
「あなたの所有地とは<br />
　いったいこの地図のどのあたりですか？」<br />
<br />
アルチビデスは、あわてて答えました。<br />
<br />
「私の土地がどんなに広くても、<br />
　世界地図に出てるはずがありませんよ。」<br />
<br />
ソクラテスは、アルチビデスの顔を<br />
気の毒そうに見ながらこう言いました。<br />
<br />
「そうですか。<br />
　この地図には載っていませんか。<br />
　地球の一部にも当たらない土地を<br />
　持っているからといって、<br />
　自慢するほどのことはないでしょう。」<br />
<br />
富とは持っているだけではなく、<br />
人のために役立ててこそ価値があることを、<br />
ソクラテスは大富豪に諭したのでした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>若さを保つ秘訣</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/j/10353294.html" /> 
  <issued>2007-06-06T10:40:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		ロングフェローは、<br />
ハーバード大学で教授を務める傍ら<br />
甘美でポピュラーな詩を書く<br />
詩人としても活躍していました。<br />
<br />
老年を迎え、頭髪は白くなりましたが<br />
顔色はよく、肌もつやつやとしていました。<br />
<br />
久しぶりに会った知人が、<br />
活き活きとしているロングフェローに<br />
驚いてたずねました。<br />
<br />
「ずいぶん若々しいですね。<br />
　いつまでも若さを保っておられる<br />
　その秘訣は何ですか？」<br />
<br />
ロングフェローは<br />
庭にある大きな木に指を指して言いました。<br />
<br />
「あの木を御覧なさい。<br />
　あの木はもう老樹といってよいでしょう。」<br />
<br />
「それでも、毎年花を咲かせています。<br />
　そのように出来るのは、<br />
　毎日少しづつでも成長を続けているからです。」<br />
<br />
「私も同じですよ。<br />
　老年になっても、たとえ少しづつでも<br />
　成長しようと心がけているのです。」
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>１０セントのミスを正す</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10352337.html" /> 
  <issued>2007-06-04T17:15:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		ロックフェラーといえば、<br />
世界に名だたる大財閥ですが、<br />
その創始者のジョン・ロックフェラーは<br />
アメリカで１店員から身を起こし、<br />
スタンダード石油を設立し、<br />
巨万の富を築いた人です。<br />
<br />
彼は成功を遂げた後も、<br />
昔の苦労を忘れないように、<br />
昼食は安い食堂で済ませていました。<br />
<br />
そのメニューはいつも<br />
ローストビーフとポテトでした。<br />
<br />
食事を済ませと３５セントの代金と<br />
１５セントのチップをボーイに渡し<br />
出てゆくのでした。<br />
<br />
ところがある日、<br />
ボーイが差し出した勘定書きに<br />
４５セントと書かれていたので、<br />
さっそくボーイを呼び<br />
１０セントの誤りを指摘し、<br />
そしてその日のボーイへのチップを<br />
５セントに減らしました。<br />
<br />
するとボーイは嫌な顔をして、<br />
「もしわたしが、あなたほどの大金持ちでしたら、<br />
　わずか１０セントを出し惜しみするような<br />
　ことはしませんね。」<br />
<br />
ロックフェラーは静かに立ち上がり言いました。<br />
<br />
「もし君に１０セントを大切にする心があったなら、<br />
　このような間違いをするようなことはなかっただろうね。」<br />
<br />
「そして、そのような心がけがあったなら、<br />
　君はその年で今もボーイなどしていなかっただろうし、<br />
　実業家として名を残し、<br />
　私が注目する人物になっていたと思うよ。」<br />
<br />
そういい残すと店を出て行きました。<br />
<br />
ボーイは返す言葉もないまま、<br />
呆然とその後姿を見送っていました。<br />
<br />
ロックフェラーの真意が、<br />
けちではなく、<br />
金銭の大切さを教えることにあったことに<br />
気が付かされたのでした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>禁酒の誓い</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10351762.html" /> 
  <issued>2007-06-03T16:26:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		１８７６年、クラークは日本政府の招きで<br />
札幌農学校の教頭となりました。<br />
<br />
現在の北海道大学農学部の前身です。<br />
<br />
そのころの学生たちは、<br />
酒を飲んで暴れまわることが多かったようです。<br />
<br />
クラーク自身もお酒が好きで、<br />
来日するときに、在任期間の一年分の酒を<br />
持ってきていました。<br />
<br />
ある日、クラークはそのお酒を全部教室に運ばせ、<br />
「私も好きな酒を止めることを誓うから、<br />
　君たちも誓ってくれないか。」<br />
と言って、ハンマーで酒ビンをすべて<br />
叩き割ってしまいました。<br />
<br />
学生たちは感動し、<br />
「もう飲みません」とクラークに誓いました。<br />
<br />
クラークが帰国するとき、<br />
学生たちに語った言葉<br />
「少年よ大志をいだけ」は有名ですね。<br />
<br />
クラークに深い感化を受けた教え子に、<br />
内村鑑三、新渡戸稲造、新島譲などがいます。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>１から１００まで足すと</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10351557.html" /> 
  <issued>2007-06-03T05:40:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		「数学の天才」といわれるガウスが<br />
小学校３年生のときのお話です。<br />
<br />
先生が黒板に１から１００までの数字を<br />
全部書いて、子供たちに言いました。<br />
<br />
さーこれを全部足してごらん。<br />
１時間はかかるだろうけど、<br />
がんばるんだよ。<br />
<br />
子供たちはさっそく足し算を始めました。<br />
<br />
ところが数分後に、<br />
ガウスが手を挙げて言いました。<br />
「先生終わりました。」<br />
<br />
先生はびっくりしました。<br />
<br />
「そんな馬鹿な、そんなに速くできるわけがない。」<br />
<br />
ガウスの石版を見ると、計算した後が無い。<br />
ところが、答えはちゃんと合っています。<br />
<br />
「ガウス君、君は初めから答えを知っていたのかね？」<br />
<br />
「いえ違います。」<br />
<br />
数字を全部見渡したとき、<br />
最初と最後の数字を足すと１０１、<br />
これが５０組あるので、<br />
１０１ｘ５０で５０５０になることに気が付いたのです。<br />
<br />
こうしてまったく新しい方法を<br />
ガウスが発見したのでした。<br />
<br />
固定観念に捕らわれない。<br />
<br />
頭を常にやわらかくしておく。<br />
<br />
発想の転換は必要ですね。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>アンドリュー・カーネギー</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10351050.html" /> 
  <issued>2007-06-02T07:37:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		かって日本の会社は、<br />
社員を大事にしたものです。<br />
<br />
社員のための福祉制度は<br />
実に充実したものでした。<br />
<br />
それは３本の柱によって成っていました。<br />
<br />
１．社内預金制度<br />
<br />
社員に預金してもらい、<br />
それに対して利子を払うものですが、<br />
銀行へ預けるより利子が高いので、<br />
社員は努めて節約し、<br />
貯金に励んだものです。<br />
<br />
２．住宅用資金貸出制度<br />
<br />
これは社員が住宅を持つための<br />
資金の貸付を行うものです。<br />
<br />
３．老後保障年金制度<br />
<br />
長い間、会社のために働いてくれた<br />
社員のために年金を払う制度です。<br />
<br />
この三つは、社員を家族として養う<br />
日本的雇用制度として<br />
注目を集めていた時期もあります。<br />
<br />
経済大国となった日本の雇用制度を解き明かす書として<br />
カリフォルニア大学のエズラ・ボーゲル教授が<br />
１９７０年代の後半に、<br />
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を<br />
世に送り出しました。<br />
<br />
日本のすぐれた雇用制度を学ぶため、<br />
この本はアメリカの大学の授業でも使われました。<br />
<br />
日本でも翻訳されたものがベストセラーになったので<br />
読んだ方もたくさん居られることでしょう。<br />
<br />
でも実を言うと、<br />
この社員を大切にする３つの制度は<br />
日本独自のものではなく、<br />
１００年以上も前にアメリカで、<br />
アンドリュー・カーネギーが<br />
自分の会社で行っていたものなのです。<br />
<br />
社員は会社が自分たちを大切にしてくれるので<br />
ますます一生懸命働き、<br />
会社はどんどん発展して行きました。<br />
<br />
その結果、アンドリュー・カーネギーは<br />
大きな財を築きましたが、<br />
のほとんどを社会貢献のために寄付しました。<br />
<br />
有名なカーネギーホール、<br />
カーネギー・メロン大学、<br />
また世界中の大学に図書館を建設するための、<br />
資金を提供しました。<br />
その数３０００以上といわれています。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>伊能忠敬</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10350543.html" /> 
  <issued>2007-06-01T06:47:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		日本全国を測量して歩き、<br />
初めて正確な地図を作ったのは<br />
幕末の伊能忠敬です。<br />
<br />
伊能忠敬は、現在の千葉県に生まれ、<br />
十歳で伊能家の養子になりました。<br />
<br />
伊能家は元来富豪の家でしたが、<br />
次第に家運が傾き、<br />
忠敬が家を継いだときには<br />
どん底の状態でした。<br />
<br />
それで忠孝は身を粉にして働いたので、<br />
５０歳になったとき、<br />
再び富豪の家となりました。<br />
<br />
伊能家再興が成ったとき、<br />
忠敬は幼い時からの夢であった<br />
天文学や測量学の研鑽を<br />
やってみたいと思うようになりました。<br />
<br />
しかし、すでに５０歳・・・<br />
<br />
でも今やらなければ、生涯悔いを残すことになるだろう。<br />
<br />
意を決して江戸に出て、測量学の勉学に励みました。<br />
<br />
一通りの学問を修めた後、北海道に出向き、<br />
測量を終えたのが５６歳のときでした。<br />
<br />
それから本州、四国と巡り歩き、<br />
１７年間費やして、日本全国の測量を完成しました。<br />
<br />
忠敬の測量技術は、<br />
現代のそれと比較しても遜色なく、<br />
その正確さは見事なものです。<br />
<br />
５０歳になっても決して遅くはない。<br />
<br />
彼はそれを身をもって示したのでした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>ギャラップ世論調査</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10350000.html" /> 
  <issued>2007-05-31T06:23:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		選挙の開票速報で毎回驚かされることがあります。<br />
<br />
わずか数パーセントしか開票されていないのに、<br />
すでに当選確実が次々と発表されることです。<br />
<br />
これは統計の確率計算を応用したものです。<br />
<br />
この先駆者はジョージ・ギャラップ氏です。<br />
<br />
アメリカのギャラップ世論調査の名を<br />
聞いたことがありますか？<br />
<br />
1936年に行われた大統領選挙で、<br />
多くのマスコミの意見では<br />
アルフ・ランドンがルーズ・ベルトを抑えて<br />
当選するだろうと見ていました。<br />
<br />
しかし、ギャラップは独自のサンプリング調査から、<br />
ルーズベルトの楽勝に確信を持っていました。<br />
<br />
周りの人々はギャラップの予想に対して<br />
笑っていました。<br />
<br />
投票が終わり開票して集計した結果、<br />
なんと、ルーズベルトの５７％の支持率に対し、<br />
アルフ・ランドンはわずか３７％でした。<br />
<br />
まさにルーズベルトの圧勝で終わったのです。<br />
<br />
これ以来、ギャラップは注目を集めるようになり、<br />
ギャラップ世論調査の世界における地位が確立されのです。<br />
<br />
今日では世論調査が、<br />
どんな商品が売れるだろうか、<br />
どんな宣伝広告が効果があるだろうかなど、<br />
広く応用されていますね。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>音吉</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/g/10348843.html" /> 
  <issued>2007-05-29T05:45:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		1832年、音吉ら14人が乗った千石船「宝順丸」が、<br />
米や陶器を積んで、江戸に向けて出港しました。<br />
<br />
しかし、遠州灘沖で嵐に遭い、14ヶ月間も漂流した後、<br />
アメリカワシントン州ケープ・アラバの海岸に漂着しました。<br />
<br />
それから音吉は、先住民のマカ族に保護され、<br />
さらにイギリス人が経営する<br />
ハドソン湾会社に引き取られました。<br />
<br />
そしてフォード・バンクーバーで<br />
英語教育を受けることになりました。<br />
<br />
その後1835年にロンドンからマカオに送られ、<br />
そこでドイツ人宣教師カール・ギッツラに出会い、<br />
世界最初の日本語訳聖書に協力しました。<br />
<br />
現存する最初の日本語聖書として有名な、<br />
ギッツラ訳の「ヨハネ伝」「ヨハネ書簡」です。<br />
<br />
新約聖書の中に「ヨハネ福音書」という部分がありますが、<br />
最初に「はじめにことばがあった。」という文があります。<br />
<br />
しかし、キリスト教のことを知らない人にとって、<br />
「ことば」といっても何のことかわかりません。<br />
<br />
そこで音吉は考えに考え、<br />
「初めに、賢きものがあった。」と訳しました。<br />
<br />
万物を超えて賢い存在の方、<br />
それは神のことですが、<br />
音吉の翻訳は見事なものです。<br />
<br />
やがて音吉はマカオ経由で帰国しようとしますが、<br />
当時の日本は鎖国状態にあり、帰国の許可が下りず、<br />
二度と故郷の土を再び踏むことはありませんでした。<br />
<br />
それから音吉はジョン・M・オトソンとして<br />
イギリスに帰化しました。<br />
<br />
イギリスに帰化した最初の日本人です。<br />
<br />
その後、日英和親条約の通訳を務めるなど活躍し、<br />
1867年に波乱に満ちた生涯を閉じます。<br />
<br />
<br />
聖書翻訳というと、<br />
言語学者たちが寄り集まって完成したような<br />
イメージを持ってしまいますが、<br />
最初の日本語聖書は、<br />
普通の人によって完成されたのでした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>カーネル・サンダース（生涯現役)</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/j/10348073.html" /> 
  <issued>2007-05-27T17:37:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		家を助けるため、サンダース少年は<br />
10歳から農場で働き始めました。<br />
学歴は小学校を卒業しただけです。<br />
<br />
その後独学で学びながら、<br />
さまざまな職業に就きました。<br />
<br />
機関士、判事助手、保険外交員、<br />
フェリーボートなど40種類に渡る仕事を渡り歩きました。<br />
<br />
30代の後半になってからガソリンスタンドを始めました。<br />
<br />
しかし、大恐慌と旱魃（かんばつ）により、<br />
農民に貸していたガソリン代を回収することができず、<br />
スタンドはつぶれてしまいました。<br />
<br />
その後挫折の半生を過ごしましたが、<br />
サンダースさんは決してあきらめませんでした。<br />
<br />
何度も何度も立ち上がりました。<br />
<br />
そして小さなレストランを始めました。<br />
<br />
そして、65歳になったときのことです。<br />
新しい高速道路の建設によって、<br />
車の流れが変わってしまいました。<br />
<br />
それによって客が来なくなってしまったので、<br />
レストランを閉店せざるを得なくなってしまったのです。<br />
<br />
あとは年金暮らしでもしようか・・・<br />
いや、このまま引退生活で人生を終わりたくない。<br />
<br />
それで、何かアイデアは無いだろうかと、<br />
知り合いの牧師さんに相談するために、教会に出かけました。<br />
<br />
教会に行くと、一人の紳士と出会いました。<br />
そしてなんと彼がフランチャイズで<br />
フライドチキンを売るお店の一号店になってくれたのです。<br />
<br />
それから、ケンタッキーフライドチキンは全世界に広まり、<br />
日本にもあちこちに見ることができるようになります。<br />
<br />
サンダースさんは９０歳で亡くなりましたが、<br />
それまで現役で通し続けました。<br />
<br />
サンダースさんは次のように言ってます。<br />
<br />
決して引退を考えずに、できるだけ働き続けなさい。<br />
人間は、働き続けて駄目になるより、<br />
休みすぎて錆（さび）付き、<br />
駄目になる方がずっと多いのです。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>良いものに触れる</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/g/10347604.html" /> 
  <issued>2007-05-26T14:11:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。<br />
<br />
愛は自慢せず、高ぶらない。<br />
<br />
礼を失せず、自分の利益を求めず、<br />
いらだたず、恨みを抱かない。<br />
<br />
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。<br />
<br />
すべてを忍び、すべてを信じ、<br />
すべてを望み、すべてに耐える。<br />
<br />
（第一コリント13章４〜７節）<br />
<br />
<br />
テレビ番組を観ていると、<br />
必ずと言ってよいほど大声を張り上げて<br />
怒鳴りあっている場面に出会います。<br />
<br />
ののしりあい、相手を疑い、欺く。<br />
<br />
この連続によってテレビ番組が<br />
成り立っているのでしょうが、<br />
そこには見る者の心を高める<br />
何の栄養のかけらさえも見当たりません。<br />
<br />
むしろ、私たちはそのようなものに<br />
日々毒されることを避け、<br />
自分を高めることに役に立つ良書に<br />
目を向けたいものです。<br />
<br />
<br />
習慣はその人の人格を形造ります。<br />
<br />
悪いものに触れ続ければ、<br />
知らず知らずのうちに、<br />
自分自身が染まって行きます。<br />
<br />
しかし、逆によいものに触れることを習慣にするなら、<br />
少しづつそれが自分のものとなります。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>求めよ、そうすれば与えられる</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/g/10347456.html" /> 
  <issued>2007-05-26T05:15:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		これは、新約聖書の中のマタイ福音書7章7節のことばですが、<br />
求めれば本当に与えられるのでしょうか？<br />
<br />
今から５年前にこんなことがありました。<br />
<br />
大学生になったばかりのA君が、<br />
友達のバイクの後ろの席にまたがって<br />
大阪の高速道路を走っていました。<br />
<br />
ところが、後から走ってきた大型トラックが接触し、<br />
バイクは転倒してしまったのです。<br />
<br />
かぶっていたヘルメットは飛ばされ、<br />
頭を強打し、顔面は直視できないほどに<br />
めちゃくちゃになってしまいました。<br />
<br />
Ａさんはすぐに救急病院へ運ばれましたが、<br />
意識不明の重体でした。<br />
<br />
そこの救急病院に運び込まれた患者の８０％以上は<br />
助からないと言われていて、<br />
医者もすっかりあきらめていました。<br />
<br />
病院に駆けつけた父親は、<br />
無残な息子の姿に唖然としていました。<br />
<br />
父親は聖書にこんな言葉が書かれていることを思い出しました。<br />
<br />
「求めよそうすれば与えられる」<br />
<br />
彼は息子のために切実な思いを込めて神に祈りました。<br />
「神よ、あなたは何でも出来る万能の神です。」<br />
「息子の脳細胞が死んでしまっても、<br />
あなたは、また新たに細胞を造ることもできる方です。」<br />
「どうか、私の息子の健康を取り戻させてください。」<br />
<br />
それから3ヵ月後、息子さんは完全に健康を取り戻しました。<br />
ぐしゃぐしゃにつぶれた顔は整形手術で完全にもとに戻りました。<br />
<br />
車椅子を使うことも無く、<br />
バスケットボールで駆け回れるほどまで、<br />
完全に健康を取り戻したのです。<br />
<br />
担当医はびっくりして言いました。<br />
「私は医者になってから30年以上になるが、こんなこと初めてだ。」<br />
<br />
信じて疑わなければ、<br />
何事も不可能なことはなく、<br />
こんなことも実現するのですね。<br />
<br />
本当に不思議な出来事でした。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>舌を制する者は、世界を制する</title> 
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  <issued>2007-05-25T05:28:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		長時間歩き続けていると、<br />
やがて疲れてきて休みたくなります。<br />
<br />
長時間手を使って仕事をしていると、<br />
手が疲れてくるので、手を休めます。<br />
<br />
ところが、舌の動きは疲れることを知りません。<br />
<br />
おしゃべり好きな人は、<br />
放っておくといつまでもしゃべり続けています。<br />
<br />
相手が聞き疲れて、<br />
うんざりしているのにもかかわらず、<br />
まだしゃべり続けています。<br />
<br />
感情のままに、舌が動き続けるのを放っておくと、<br />
いずれ身を滅ぼす結果を招きます。<br />
<br />
ほんの一言が相手の心を傷つけ、<br />
それが原因で対人関係がこじれ、<br />
相手が職場の上司だったら、<br />
自分の昇進を妨げることになり、<br />
部下だったら会社を辞めてしまう引き金になります。<br />
<br />
聖書に「ヤコブの手紙」という書があります。<br />
ヤコブはヘブライ語の名前ですが、<br />
英語ではジェームズと発音します。<br />
<br />
ヤコブはイエス・キリストの弟であり、<br />
「ヤコブの手紙」は彼が書いたと伝えれられています。<br />
<br />
「ヤコブの手紙」には、<br />
舌の働きの恐ろしさを教えています。<br />
<br />
舌は口の中にあって、<br />
普段は全く目だ立たない存在なのにもかかわらず、<br />
その働きは絶大なものです。<br />
<br />
軽率な発言は身を滅ぼす結果を招きます。<br />
<br />
夫婦喧嘩にしても、たわいない一言が<br />
原因になっていることがよくあります。<br />
<br />
感情の高まりに任せて、<br />
怒りの言葉が口から出そうになる時、<br />
それにブレーキをかけてくれるのは理性しかありません。<br />
<br />
口から出す前に、一呼吸置いて、<br />
言うべきかどうか吟味する必要があります。<br />
<br />
取り返しのつかない結果を招いて、<br />
生涯を台無しにすることの無いように・・・。<br />
<br />
殴られても殴り返せばそれで終わります。<br />
<br />
しかし、言葉によって傷つけられた心の痛みは<br />
いつまでも残ります。<br />
<br />
見えないけど、言葉が与える影響は<br />
計り知れないほど大きいのです。<br />
<br />
しかし、励ましの言葉は、<br />
人に元気と自信をもたらします。<br />
<br />
悪い言葉が口から出さないように、<br />
むしろ良い言葉が口から出てくるように、<br />
今日も一日心がけましょう。<br />
<br />
そのとき、相手への笑顔を忘れずに。
  </p>
  </content>
  </entry>
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  <title>ナポレオン・ポナパルト</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10346459.html" /> 
  <issued>2007-05-24T05:18:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		1769年8月15日、ナポレオン・ポナパルトは、<br />
コルシカ島に生まれました。<br />
<br />
コルシカ島はジェノバ共和国に属していましたが、<br />
フランスに売り飛ばされてしまったので、<br />
ナポレオン・ポナパルトは<br />
フランスの国籍を有することになりました。<br />
<br />
そして10歳のとき、奨学金を得て<br />
フランス本国の学校に入ることとなりました。<br />
<br />
14歳になると、パリの士官学校に進学し、<br />
軍人を目指しました。<br />
<br />
彼はここに在籍していたのはわずか11ヶ月間だけで、<br />
卒業試験を受けてさっさと卒業してしまいました。<br />
<br />
席次は58人中42番目だったものの、<br />
士官学校の在籍機関は通常3−4年だったので、<br />
彼は相当優秀な学生だったに違いありません。<br />
<br />
ポナパルト少尉の専門は砲兵でした。<br />
<br />
大砲を用いてさまざまな戦闘で活躍し、<br />
めきめきと頭角をあらわし、<br />
ついにはフランス皇帝になってしまうのです。<br />
<br />
彼が率いた軍隊は、<br />
南はエジプト、北はロシアまで侵攻しました。<br />
<br />
ロシアの首都モスクワまで占領したものの、<br />
厳しい寒さに耐え切れず、<br />
まもなくフランス軍は<br />
ロシアから撤退せざるを得ませんでした。<br />
<br />
映画「戦争と平和」に、<br />
ナポレオン率いるフランス軍が<br />
モスクワを占領する場面が出てきます。<br />
<br />
晩年のナポレオンはフランス本国から見放されたので、<br />
イギリスに住むことを希望しましたが、<br />
イギリスからの回答は厳しく、<br />
セント・ヘレナ島に流刑されてしまいます。<br />
<br />
6年間南太平洋の孤島で過ごしましたが、<br />
健康を害して51歳でこの世を去りました。<br />
<br />
死因は胃潰瘍もしくは癌（がん）だったようです。<br />
<br />
彼の死後20年過ぎた1840年になってから、<br />
彼の遺体をフランス本国に戻す運動が起こり、<br />
ようやく本国に帰ることができることとなりました。<br />
<br />
かっての忠臣たちがセント・ヘレナ島に向かい、<br />
彼の遺体がフランスに帰ることになりました。<br />
<br />
ナポレオン一世の無言の帰国を<br />
10万人の人々が迎えたのでした。<br />
1840年11月30日のことです。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>アメージング・グレース</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/f/10345982.html" /> 
  <issued>2007-05-23T07:02:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		この曲は、３年前にテレビドラマ「白い巨塔」の<br />
テーマミュージックに使われましたね。<br />
<br />
この曲を作ったのはジョン・ニュートンというイギリスの方です。<br />
<br />
ジョンは１７２５年にイギリスで生まれました。<br />
<br />
母親は熱心なクリスチャンでしたが、<br />
ジョンが7歳のときに亡くなってしまいました。<br />
<br />
成長したジョンは、<br />
商船の指揮官であった父親と共に<br />
船乗りになりました。<br />
<br />
そのうちジョンは「奴隷貿易」に手を染めるようになりました。<br />
<br />
１８世紀の当時、アフリカから沢山の黒人を船に乗せ、<br />
アメリカ大陸に奴隷として売る「奴隷貿易」が盛んだったのです。<br />
<br />
船に積み込まれた奴隷たちの扱いはひどいもので、家畜以下でした。<br />
<br />
衛生環境が悪く、彼らの多くが伝染病、脱水症、<br />
栄養失調で亡くなりました。<br />
<br />
ジョンも平気で奴隷たちを過酷に扱っていました。<br />
<br />
２２歳になったジョンは奴隷船の船長の役をおおせつかりました。<br />
<br />
ある日、航海中大嵐に遭遇し、<br />
ジョンが乗った船が沈没しそうになりました。<br />
<br />
そのとき、ジョンは初めて神に祈ったのです。<br />
そしてその大嵐から、ジョンは奇跡的に助かったのでした。<br />
<br />
ジョンは初めて神に感謝しました。<br />
それから16年間、ジョンは奴隷の商売を続けましたが、<br />
船内での奴隷の扱いは格段に改善されました。<br />
<br />
１７５５年、ジョンは病気を理由に船を降り、<br />
それから勉学に励むようになりました。<br />
<br />
やがてジョンは神父になり、数多くの賛美歌を作りました。<br />
<br />
そして１７６５年「アメージング・グレース」が生まれました。<br />
<br />
「アメージング・グレース」は、<br />
かって奴隷商人としてひどい生き方をしていた自分にさえも、<br />
神は愛を注いでくださったことを感謝する内容の歌です。<br />
<br />
この曲は、アメリカ南部の綿花を栽培するプランテーションで<br />
奴隷としてつらい扱いを受けていた黒人たちを励ます歌として愛され、<br />
今日も尚、黒人の教会で広く愛され、歌い続けられています。<br />
<br />
ジョンが死ぬ間際にこのような言葉を残しています。<br />
<br />
私は自分の生涯を通して、<br />
二つのことがはっきりとわかりました。<br />
<br />
そのひとつは、かって私は救いようの無いほど、<br />
ひどい罪人（つみびと）であったということです。<br />
<br />
そしてふたつめは、そんな私にさえも、<br />
神様はあふれるほどの愛を注いで下さったのです。<br />
<br />
こう言い終えると、ジョンは静かに息を引き取りました。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>夏ばて防止の味方</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/c/10345451.html" /> 
  <issued>2007-05-22T05:35:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		沖縄の地元の小さな八百屋さんに行くと、<br />
珍しい野菜にお目にかかります。<br />
<br />
ゴーヤもそのひとつ。<br />
沖縄に来るまで見たことがありませんでした。<br />
<br />
長さが２０ー３０センチ、太さが７−１０センチ、<br />
表面が緑色で、ブツブツの突起で表面が覆われているので、<br />
初めて目にしたとき、触るのに勇気が要りました。<br />
<br />
本当にこんなの食べるの？<br />
<br />
味が苦いので、苦瓜（にがうり）とも呼ばれています。<br />
<br />
これから夏にかけて、値段が安くなります。<br />
<br />
ゴーヤは夏ばて防止に効くそうです。<br />
<br />
調理の仕方を紹介しましょう。<br />
沖縄ではチャンプル（混ぜる）料理がポピュラーです。<br />
<br />
まず包丁を使い、ゴーヤを縦に半分に切ります。<br />
中は白くてやわらかいので、この白い部分を取り除きます。<br />
スプーンを使うと簡単に取り除くことが出来ます。<br />
<br />
次に外側の肉部分を薄切りにします。<br />
苦味を少なくするために、<br />
出来るだけ薄切りにするとよいでしょう。<br />
２−３ミリを目標にやってみましょう。<br />
<br />
なべまたはフライパンにサラダオイルを入れて加熱し、<br />
薄切りにしたゴーヤを炒めます。<br />
それから、人参、たまねぎ、キャベツなど適当に切って混ぜます。<br />
もやしも加えます。<br />
<br />
沖縄の木綿豆腐を一緒に入れると更に沖縄の味を楽しめます。<br />
<br />
カロリーが気になる方は、オイルを使わずに、<br />
水だけで蒸すような感じで仕上げても良いですね。<br />
<br />
味付けはご自由に、醤油だけでもＯＫです。
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>万事が益となる</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://jwmokjp.noblog.net/blog/j/10344942.html" /> 
  <issued>2007-05-21T03:12:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		「今の苦労が無駄にはならない。全てが益となる。」<br />
<br />
これは、聖書のローマ書８章２８節に書いてある言葉です。<br />
<br />
なんという、励ましの言葉ではないでしょうか。<br />
<br />
苦労そのものはできることなら避けたいものですが、<br />
自分自身を鍛え、成長させるためには必要なことです。<br />
<br />
１９５０年代の映画で「十戒」というのがありましたね。<br />
チャールトン・ヘストンがモーセの役を演じました。<br />
<br />
モーセが４０歳になったとき、<br />
エジプトの王子の生活を追い払われ、<br />
命を狙われて荒野に逃げて行きました。<br />
<br />
それから４０年間、<br />
モーセは羊の群れを世話する羊飼いとして過ごしました。<br />
<br />
そして８０歳になったときに、モーセはエジプトに行き、<br />
奴隷として虐げられていたユダヤ人たちを解放しました。<br />
<br />
それから、彼らを連れて４０年間荒野を旅しました。<br />
その数、２００万人以上と推定されています。<br />
<br />
かって羊の群れを世話して荒野を隅々まで歩き回ったモーセにとって、<br />
羊飼いとしての４０年間の生活は無駄ではなく、<br />
大いに役に立ったのです。<br />
<br />
モーセの生涯は波乱万丈でした。<br />
１歳から４０歳まではエジプトの王子として、<br />
何の不自由も無い生活でした。<br />
<br />
４０歳から８０歳までは、<br />
全てを失って荒野で羊飼いとして過ごし、<br />
８０歳から１２０歳までは<br />
イスラエル民族のリーダーとして大活躍したのです。<br />
<br />
一回ぐらい転落の人生を経験したからといって<br />
あきらめてはいけません。<br />
<br />
それを教訓として、再び立ち上がればよいのです。
  </p>
  </content>
  </entry>
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