ナポレオン・ポナパルト


カテゴリ


[PR]



2007年05月24日(Thu)
ナポレオン・ポナパルト

1769年8月15日、ナポレオン・ポナパルトは、
コルシカ島に生まれました。

コルシカ島はジェノバ共和国に属していましたが、
フランスに売り飛ばされてしまったので、
ナポレオン・ポナパルトは
フランスの国籍を有することになりました。

そして10歳のとき、奨学金を得て
フランス本国の学校に入ることとなりました。

14歳になると、パリの士官学校に進学し、
軍人を目指しました。

彼はここに在籍していたのはわずか11ヶ月間だけで、
卒業試験を受けてさっさと卒業してしまいました。

席次は58人中42番目だったものの、
士官学校の在籍機関は通常3−4年だったので、
彼は相当優秀な学生だったに違いありません。

ポナパルト少尉の専門は砲兵でした。

大砲を用いてさまざまな戦闘で活躍し、
めきめきと頭角をあらわし、
ついにはフランス皇帝になってしまうのです。

彼が率いた軍隊は、
南はエジプト、北はロシアまで侵攻しました。

ロシアの首都モスクワまで占領したものの、
厳しい寒さに耐え切れず、
まもなくフランス軍は
ロシアから撤退せざるを得ませんでした。

映画「戦争と平和」に、
ナポレオン率いるフランス軍が
モスクワを占領する場面が出てきます。

晩年のナポレオンはフランス本国から見放されたので、
イギリスに住むことを希望しましたが、
イギリスからの回答は厳しく、
セント・ヘレナ島に流刑されてしまいます。

6年間南太平洋の孤島で過ごしましたが、
健康を害して51歳でこの世を去りました。

死因は胃潰瘍もしくは癌(がん)だったようです。

彼の死後20年過ぎた1840年になってから、
彼の遺体をフランス本国に戻す運動が起こり、
ようやく本国に帰ることができることとなりました。

かっての忠臣たちがセント・ヘレナ島に向かい、
彼の遺体がフランスに帰ることになりました。

ナポレオン一世の無言の帰国を
10万人の人々が迎えたのでした。
1840年11月30日のことです。