音吉


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2007年05月29日(Tue)
音吉

1832年、音吉ら14人が乗った千石船「宝順丸」が、
米や陶器を積んで、江戸に向けて出港しました。

しかし、遠州灘沖で嵐に遭い、14ヶ月間も漂流した後、
アメリカワシントン州ケープ・アラバの海岸に漂着しました。

それから音吉は、先住民のマカ族に保護され、
さらにイギリス人が経営する
ハドソン湾会社に引き取られました。

そしてフォード・バンクーバーで
英語教育を受けることになりました。

その後1835年にロンドンからマカオに送られ、
そこでドイツ人宣教師カール・ギッツラに出会い、
世界最初の日本語訳聖書に協力しました。

現存する最初の日本語聖書として有名な、
ギッツラ訳の「ヨハネ伝」「ヨハネ書簡」です。

新約聖書の中に「ヨハネ福音書」という部分がありますが、
最初に「はじめにことばがあった。」という文があります。

しかし、キリスト教のことを知らない人にとって、
「ことば」といっても何のことかわかりません。

そこで音吉は考えに考え、
「初めに、賢きものがあった。」と訳しました。

万物を超えて賢い存在の方、
それは神のことですが、
音吉の翻訳は見事なものです。

やがて音吉はマカオ経由で帰国しようとしますが、
当時の日本は鎖国状態にあり、帰国の許可が下りず、
二度と故郷の土を再び踏むことはありませんでした。

それから音吉はジョン・M・オトソンとして
イギリスに帰化しました。

イギリスに帰化した最初の日本人です。

その後、日英和親条約の通訳を務めるなど活躍し、
1867年に波乱に満ちた生涯を閉じます。


聖書翻訳というと、
言語学者たちが寄り集まって完成したような
イメージを持ってしまいますが、
最初の日本語聖書は、
普通の人によって完成されたのでした。