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2007年05月29日(Tue)▲ページの先頭へ
音吉

1832年、音吉ら14人が乗った千石船「宝順丸」が、
米や陶器を積んで、江戸に向けて出港しました。

しかし、遠州灘沖で嵐に遭い、14ヶ月間も漂流した後、
アメリカワシントン州ケープ・アラバの海岸に漂着しました。

それから音吉は、先住民のマカ族に保護され、
さらにイギリス人が経営する
ハドソン湾会社に引き取られました。

そしてフォード・バンクーバーで
英語教育を受けることになりました。

その後1835年にロンドンからマカオに送られ、
そこでドイツ人宣教師カール・ギッツラに出会い、
世界最初の日本語訳聖書に協力しました。

現存する最初の日本語聖書として有名な、
ギッツラ訳の「ヨハネ伝」「ヨハネ書簡」です。

新約聖書の中に「ヨハネ福音書」という部分がありますが、
最初に「はじめにことばがあった。」という文があります。

しかし、キリスト教のことを知らない人にとって、
「ことば」といっても何のことかわかりません。

そこで音吉は考えに考え、
「初めに、賢きものがあった。」と訳しました。

万物を超えて賢い存在の方、
それは神のことですが、
音吉の翻訳は見事なものです。

やがて音吉はマカオ経由で帰国しようとしますが、
当時の日本は鎖国状態にあり、帰国の許可が下りず、
二度と故郷の土を再び踏むことはありませんでした。

それから音吉はジョン・M・オトソンとして
イギリスに帰化しました。

イギリスに帰化した最初の日本人です。

その後、日英和親条約の通訳を務めるなど活躍し、
1867年に波乱に満ちた生涯を閉じます。


聖書翻訳というと、
言語学者たちが寄り集まって完成したような
イメージを持ってしまいますが、
最初の日本語聖書は、
普通の人によって完成されたのでした。

2007年05月26日(Sat)▲ページの先頭へ
良いものに触れる

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。

愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。

(第一コリント13章4〜7節)


テレビ番組を観ていると、
必ずと言ってよいほど大声を張り上げて
怒鳴りあっている場面に出会います。

ののしりあい、相手を疑い、欺く。

この連続によってテレビ番組が
成り立っているのでしょうが、
そこには見る者の心を高める
何の栄養のかけらさえも見当たりません。

むしろ、私たちはそのようなものに
日々毒されることを避け、
自分を高めることに役に立つ良書に
目を向けたいものです。


習慣はその人の人格を形造ります。

悪いものに触れ続ければ、
知らず知らずのうちに、
自分自身が染まって行きます。

しかし、逆によいものに触れることを習慣にするなら、
少しづつそれが自分のものとなります。

求めよ、そうすれば与えられる

これは、新約聖書の中のマタイ福音書7章7節のことばですが、
求めれば本当に与えられるのでしょうか?

今から5年前にこんなことがありました。

大学生になったばかりのA君が、
友達のバイクの後ろの席にまたがって
大阪の高速道路を走っていました。

ところが、後から走ってきた大型トラックが接触し、
バイクは転倒してしまったのです。

かぶっていたヘルメットは飛ばされ、
頭を強打し、顔面は直視できないほどに
めちゃくちゃになってしまいました。

Aさんはすぐに救急病院へ運ばれましたが、
意識不明の重体でした。

そこの救急病院に運び込まれた患者の80%以上は
助からないと言われていて、
医者もすっかりあきらめていました。

病院に駆けつけた父親は、
無残な息子の姿に唖然としていました。

父親は聖書にこんな言葉が書かれていることを思い出しました。

「求めよそうすれば与えられる」

彼は息子のために切実な思いを込めて神に祈りました。
「神よ、あなたは何でも出来る万能の神です。」
「息子の脳細胞が死んでしまっても、
あなたは、また新たに細胞を造ることもできる方です。」
「どうか、私の息子の健康を取り戻させてください。」

それから3ヵ月後、息子さんは完全に健康を取り戻しました。
ぐしゃぐしゃにつぶれた顔は整形手術で完全にもとに戻りました。

車椅子を使うことも無く、
バスケットボールで駆け回れるほどまで、
完全に健康を取り戻したのです。

担当医はびっくりして言いました。
「私は医者になってから30年以上になるが、こんなこと初めてだ。」

信じて疑わなければ、
何事も不可能なことはなく、
こんなことも実現するのですね。

本当に不思議な出来事でした。

2007年04月11日(Wed)▲ページの先頭へ
知識よりも知性

知識よりも知性

二年前の8月、台風がアメリカのニューオリンズを襲い、
歴史あるこの街を壊滅させました。

多くの人々が一瞬のうちに家と財産を失い、
失望のどん底に突き落とされました。

もしあなたが、彼ら被害者の立場だったら、
再び立ち上がることが出来るでしょうか。

数千年前、ユダヤ人たちは、
全財産を一瞬のうちに取り上げられ、
本国を追われ、世界を放浪する旅人となりました。

ユダヤ人たちは、この逆境の中で、
生き残るためには何が一番大切かを、
経験の中で知り尽くしていました。

ユダヤ人のお母さんは、
子供がまだ幼いうちから、
何が一番大切かを教えます。

「戦争が始まったら、お前は何を持って逃げる?」
「宝石でも、指輪でもなく、お金でもない。」
「もっとはるかに軽い物。」

子供に、それは知性であることを教えます。

高価な指輪、お金、宝石などは逃げる途中で奪われます。
しかし、自分が生きている限り、
知性を奪われることはありません。

知性は知識とは違います。
どんなに知識を詰め込んでも、
それを使う知性(知恵)が無ければ、
ごみの山に過ぎません。

大学へ行っても知識を得ることが出来ても、
知性は身につきません。

八百屋のおじさん、魚のおばさんであっても
知性に富んでいる人は尊敬されます。

ユダヤ人が尊ぶ知性は、
タルムードを用いて教えられます。



ユダヤ人たちが知性を高めるために用いている
タルムードとはいったいどんなものでしょう。

それは旧約聖書の中の
「箴言(しんげん)」という部分が参考になるでしょう。

知恵の書ともよばれるものであり、
本屋さんに行けば見ることが出来ます。

2007年01月28日(Sun)▲ページの先頭へ
モーセの十戒

その昔、
エジプトの地で奴隷となっていたイスラエル人が解放されて、
モーセに導かれてカナンの地、
現在のパレスチナに向かって移動した。

その数、約200万人といわれている。

これだけの大集団を統率するのに、約束事が必要であった。

それが「モーセの十戒」と呼ばれているものである。

イスラエル人にとっては憲法であり、
また日々の生活の基準であった。

これを読むと、現在の世の中にも十分通用するように思える。

 1.真の神のみを礼拝しなさい。

 2.偶像を造り拝んではいけない。

 3.神の名・権威を乱用してはいけない。

 4.安息日を守りなさい。

 5.あなたの父と母を敬いなさい。

 6.殺してはいけない。

 7.姦淫してはいけない。

 8.盗んではいけない。

 9.うそをついてはいけない。

10.他人をうらやんではいけない。

2007年01月15日(Mon)▲ページの先頭へ
アメージング・グレース

ジョン・ニュートンは奴隷船の船長であった。

アフリカから黒人を船いっぱいに詰め込み
イギリスやアメリカ大陸に運ぶのが彼の仕事であった。

皮の鞭でたたいたり、
病気になったものは海に放り込んだり
彼の奴隷に対する扱いはひどいもので
奴隷たちは恐れおののいていた。

ある日ジョンが乗っている船が大嵐に遭い、
沈没しそうになった。

これまで神など信じたことが無かったジョンだが
恐ろしさのあまり祈った。

神様、どうか助けてください!
私の命を救ってください!
もし助けてくださるのなら、
生涯あなたのためにお仕え致します。

間もなく嵐が止み、
大海原に静けさがもっどって来た。

あ〜助かった!!
ジョンはホッと胸を撫で下ろした。

船が港に着くと、ジョンはあっさり奴隷船の船長を辞めた。
そして牧師として歩む準備を始めた。

それ以来ジョンは多くの賛美歌を作詞作曲し
彼の作品は今日でも世界中で歌われている。

3年ほど前、あるテレビ番組のテーマ曲に使われた
「アメージング・グレース」も、
数ある彼の作品の中のひとつである。

この曲はアメリカで、まだ奴隷制度があった時代に、
奴隷として虐げられていた多くの黒人たちを励まし、
彼らに愛され、歌われた。

そして、今日のアメリカの黒人教会でも広く歌われている。

ジョンが老齢になってから、次のように言っている。

「私の人生を通して、はっきりしていることが二つある。」

「そのひとつは、私はひどい罪人だったということ。」
「もうひとつは、そんな私だったにもかかわらず、
 神は私を赦して下さった。」

「神の愛に感謝します。」

ジョンはそう言い終えると静かに息を引き取った。

2007年01月14日(Sun)▲ページの先頭へ
後悔と悔い改め

1.後悔

  後悔とは、あれをしなければ良かった、
  これをしなければ良かった
  と過去の失敗を思い出して苦しむことであり
  将来への希望が無い。

イエスを裏切ったイスカリオテのユダが
まさしくこれであった。

裏切らなければ良かった、
でももう遅い。

落胆のあまり、ユダは首をつって自殺してしまった。


2.悔い改め

  悔い改めとは、過去の失敗を赦し願い、
  新たな出発をすること。

イエスを裏切ったことでは、
ペテロも同じであった。

周りの人たちから「あなたもイエスの仲間だろう」と
問いかけられて、朝早く鶏が鳴く前に
三度も私は知らない、無関係だと
捕らえられているイエスの目前で否定したのであった。

ペテロはユダとは違っていた。

ペテロはイエスに、裏切ったことの赦しを願い、
再出発をすることになった。

やがてペテロは、エルサレムにおけるキリスト教会の
指導者となり、大きなはたらきをすることになる。

過去の失敗をどのように受け止めるか、
それによってあなたの人生は大きく変わる。

単なる後悔であなたの人生を終えるか、
それとも、それをバネとして
新しく歩み始めるか、
それはあなた次第でどうにでもなる。

2007年01月13日(Sat)▲ページの先頭へ
崩壊した日本社会を救う


ある心理学の専門家が、
日本社会に欠けているものが三つある
と指摘している。

1.失敗を認めない。
2.個人を大切にしない。
3.絶対的善悪の基準が無い。


1.失敗を認めるということは、
  切腹につながり、命が絶たれる。
  地位あるものはそこからそこから放り出され
  やり直しのチャンスが無い。

  したがって、失敗を隠し続け、
  問題が大きくなる。
  
  個人レベルでは、人は嘘をつき続ける。
  組織レベルでは、企業の赤字を隠す粉飾決算報告が
  まさにこれである。


2.個人よりも組織を優先する。
  企業利益が大きく膨らんでいるのに、
  給与に反映されない。
  正社員を減らし、賃金の安いパートを増やす。

  その結果、休暇を使わず流したり、サービス残業をしたり、
  過労死に追い込まれたりする。
  

3.人々はその時代のトップの方針に従うだけで、
  トップが変われば、白だったものが黒になる。

  ある大きな老舗の製菓メーカーが
  期限を過ぎた牛乳を使って、お菓子を製造販売していたことが
  数日前判明し、大きく社会に衝撃を与えたことは記憶に新しい。


このままでは、近い将来日本は崩壊するだろう。
いや、すでに崩壊しつつある。

これを修復する方法は無いのだろうか。

いや方法はある。

日本社会に足りないものの三つを補えば良いのである。

それはすべて聖書の中に書かれてある。

1.失敗を認めても、やり直しのチャンスを与える。

  ダビデ王はバテシバと不倫した。
  それは汚れた、してはいけないものである。
  ダビデ王はすぐに悔い改め、心から神に赦しを願ったので、
  その罪は赦され、王位を剥奪されなかった。

2.個人を大切にする。
  これは隣人愛であり、引きこもり、
  いじめといったものがなくなる。
  
  隣人愛とは、自分自身を大切にするように、
  他人をも大切にすることである。

3.絶対的善悪の基準である神の存在を
  常に意識した生き方をする。
  
  神とは全宇宙と地球、そして命あるものすべての
  創造者である。


参考:ハーベストタイム
   2007年1月13日放送

2007年01月12日(Fri)▲ページの先頭へ


最近、新聞の三面記事を見ると、
様々な事件が報道されています。

1.兄弟げんかの末、兄が妹を殺害、
2.夫婦喧嘩の末、妻が夫を殺害、
3.親が子供を虐待、
4.こども同士のいじめ、

どうしてこんなことが起こるのでしょう。

共通していることは、
相手に対する配慮が欠けている。

一言で言うなら「愛」の欠如です。

自分自身を大切にするように
相手も大切にする。

これが「愛」です。

第一コリント13章は、
愛について、次のように説明しています。


愛は寛容であり、愛は親切です。

また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばず、真理を喜びます。

すべてを我慢し、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。



今の日本は生活は豊かです。
お金を出せば何でも手に入れることができます。

しかし、「愛」だけは、
お金で買うことができません。

「愛」はお金では買えませんが、
ただで与え、受け取ることができます。

2007年01月11日(Thu)▲ページの先頭へ
応えられた祈り

ニューヨークのある病院の壁に
こんな詩が書かれている。

作者不詳だが、「応えられた祈り」として知られている。



功績を立てようと、神に祈り求めたのに、
謙遜に服従するようにと、弱さを与えられた。

より大きなことをしようと、健康を求めたのに、
より良いことをするようにと、病を与えられた。

幸福になるようにと、富を祈り求めたのに、
賢くなるようにと、貧しさを与えられた。

人々の賞賛を得ようと、力を祈り求めたのに、
神の必要を感じるようにと、弱さを与えられた。

人生を楽しもうと、あらゆるものを祈り求めたのに
あらゆるものを楽しむようにと、人生を与えられた。

祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに、
実は私が望んでいたすべてのものが与えられた。

このような私にもかかわらず、
私の言葉にならない祈りは応えられ、
すべての人にまさって、
私は最も豊かな祝福を与えられたのだ。

2006年12月24日(Sun)▲ページの先頭へ
もう一人のサンタさん

クリスマスイブの夜
遠い北の国からサンタさんがやってくる。

月の光に照らされて、
トナカイに引かれたそりに乗って、
大空を飛んでやってくる。

真っ赤な帽子と真っ赤な洋服と
真っ白な髭のサンタさん。

屋根の上にそっと降りました。

煙突を通って暖炉に抜け
へやの中に入ってきた。

ぶら下げてある子供達の靴下の中に
プレゼントを入れて、
さあ、次はどこの家に行こうかな?

子供の頃絵本に載っているサンタクロースのお話、
ほのぼのとさせますね。

サンタさんはクリスマスイブの夜、
世界中の子供達に、プレゼントを配りまわります。

クリスマスの日に遠い国から
もっと素敵なプレゼントを抱えて
もう一人のサンタさんがやってきました。

子供だけでなく大人にもプレゼントを
抱えてやってきました。

おもちゃよりも素晴らしいプレゼント。

疲れた者に平安を、
病の床にある者に癒しを、
失意にある者に希望を下さいます。

クリスマスはこの方の誕生を祝う日です。

もう一人のサンタさん、
それはイエス・キリストです。

2006年12月22日(Fri)▲ページの先頭へ
クリスマス

今から2000年前のことです。

当時の王が命令を出しました。

人口調査のため、すべてのイスラエル人は
生まれ故郷に帰り、そこで登録しなさい。

ナザレの町に住んでいた若い夫婦、ヨセフとマリアも
この命令に従って、エルサレムを目差して
徒歩の旅をしていました。

マリアは身重だったので、この長旅はつらいものでした。

二人がベツレヘムにたどり着いたのは夕方で。
すでに周りは暗くなりつつありました。

今日はここで宿を取って休もう。

ところがどこの宿も満室で、
泊まる部屋を見つけることはできませんでした。

町のはずれの最後の宿屋を訪れたとき、
宿屋の主人この若夫婦にこのように言いました。

空室はないが、馬小屋なら空いてるよ。
干草はたくさんあるから、寒くはないと思う。
そこでよかったら泊まっていきなさい。

ヨセフとマリアは馬小屋で一晩を明かすことにした。

その晩マリアは突然、陣痛に襲われ、
一人の男の子を出産しました。

赤ん坊は馬がえさを食べる飼い馬おけの中に
そっと置かれました。

ヨセフとマリアが泊まった馬小屋の上空には
信じられないほど大きな星が輝いていました。

その星に導かれて、羊飼いたちが荒野からやってきました。

見よ!私たちの王の誕生だ!
イスラエルの新しい王の誕生だ!

やがて東方の遠い国から
3人の博士たちが贈り物を携えてやって来ました。

私たちはあの空に輝く大きな星に導かれて、
ここまでやってきました。

そして、宝石、香料、もつ薬など高価な贈り物を
目の前に置き、神を讃え、賛美を捧げました。

12月25日は世界中でクリスマスを祝いますが、
これはイエス・キリストの誕生を祝う日です。

2006年12月20日(Wed)▲ページの先頭へ
自己犠牲の愛

シベリアの収容所を脱走した二人の男が
真冬の吹雪の中を、大平原でさまよっていた。

いったいどっちの方へ行けば民家があるのだろう・・・。

このままでは追っ手に捕まってしまうか
凍え死ぬだけだぞ。

しばらく進むと、一人の男が倒れていた。

死んではいない、まだ生きているぞ。
一緒に連れて行こうよ。

よせよせ、放っておけ!

この吹雪ではどうせ助からない、
それに、足手まといになるだけだ!

そう言い残して、
最初の男はさっさと先に行ってしまいました。

そして、その男の姿は
吹雪で見えなくなってしまいました。

後に残された男は、
倒れた男を自分の背中に背負いました。

その重みで早く歩くことができません。

しかし、見捨てていくわけには行かない。

重い足取りで、一歩一歩、先に進んで行きました。

しばらくすると、誰かが倒れています。

すでに冷たくなっていて息をしていませんでした。
それは先に行ったはずの、あの男でした。

それから背中に最初の男を背負ったまま、
何時間歩いただろうか・・・。

はるか向こうにやっと小さな灯りが見えました。

あ!人家だ、助かるぞ!

大急ぎで歩き始めました。

そして、やっと人家の入り口にたどり着きました。

すみません、道に迷ったんです。
中に入れてください。

おやおや、こんな吹雪の中を大変だったね。
さあさあ、中にお入り。
家は暖かいし、熱いお風呂もあるよ。
今ちょうど温かいスープが出来上がったところなんだよ。
家族みんなで晩御飯を食べようとしていたところなのさ。
一緒に食べよう。体が暖まるよ。

今夜はゆっくり泊まっていくと良いよ。

こうして、吹雪の中で倒れていた人を見捨てて、
先に行ってしまった男は吹雪の中で凍え死んでしまいましたが、
背中に担がれていた男性と担いだ男性の場合は
体温で互いに温めあうこができたので、
共に九死に一生を得ることができたのでした。

2006年12月19日(Tue)▲ページの先頭へ
クリスマスキャロル

それはクリスマスイブの夜の出来事でした。

大金持ちのスクルージーおじさんは
「クリスマス、なんだそんなもの、くだらない」
そう言って、大きな家に住みながら、
一人でスープを飲んで、
さっさとベッドにもぐりこみました。

しばらくすると、ベッドの横に、
鎖を手足に巻きつけた姿で
数年前に死んだ友人が立っていました。

「おい、スクルージ、おまえもこんな風になるぞ」
そう言うと、姿を消してしまいました。

なんだ今のは? 夢か・・・そう言うと、
また眠り始めました。

「スクルージー・・・スクルージー・・・」
誰かが、呼んでいます。

何だ何だ、真夜中に・・・

目を開けると、全身を黒いマントで覆い、
目だけが光っている者が
ベッドのそばに立っています。

ダダ誰だ!お前は!

私は死神だ・・・
これから面白いものを見せてあげよう・・・
私にしっかりしがみついているんだよ。

そういうと、スクルージーを抱きかかえて
窓から飛び出し、町にやってきました。

人々が話し合っています。

あのけちで頑固なスクルージーが死んだそうだよ。
いい気味だ、町の厄介者だったからな。ハハハ!!!

何言ってるんだ、俺は生きてるよ。

そう言ったものの、誰にも聞こえないようです。

次のところへ行こう。

そう言って、死神はスクルージーを連れて再び町の上空を飛び、
しばらくして一軒の家の窓を覗かせました。

家の中では、家族そろってクリスマスディナーを
始めようとしていたところでした。

あ、あれは安月給でこき使っている甥子のジョンではないか。
子供が5人もいる・・・。
娘さんの足が悪いんだ・・・。

さーこれから、みんなで食事だよ。
お父さんが、七面鳥を取り分けるからね。
小さな七面鳥だけど、
神様に感謝していただきましょう。

死神は言いました。
家族っていいものだろう?
さて、最後の場所に案内しよう。

そう言うと静かな人気のない森の中にやってきました。
死神の姿はいつの間にか消え去り、
スクルージーだけが一人ぽつんと立っていました。

いったいここはどこなんだ・・・

少しはなれたところに、何かが見えたので
近づいていきました。

墓地じゃないか・・・

ひとつのみすぼらしい墓石にたどり着きました。
いったい誰の墓なのだろう・・・
表面を覆っている雪を手で払いのけました。

そこには「スクルージー」と刻まれていました。

私の墓・・・嫌だ!嫌だ!死にたくない!

大声で叫んだところで、ぱっと目が覚めました。

大急ぎでベッドから飛び起きると、
窓のカーテンを開けました。

朝だ!

窓を開けると、一人の少年が通りかかりました。

おいおい、今日は何日だ!

クリスマスだよ!

そうかそうか、すまないけど、使いに行ってくれないか。
お礼は弾むよ。
マーケットに行って一番大きな七面鳥を買ってきてくれないか。
頼んだよ!

そう言うと、急いで着替え、町に出て行きました。

メリークリスマス、クリスマスおめでとう!
みんなに迷惑かけたね。
みんなの借金は帳消しにするよ!
今日はクリスマスだからね。
街角で募金している箱に、たくさんのお金を寄付しました。

それから、大きな七面鳥を持って
甥っ子の家に出かけました。

メリークリスマスおめでとう!
これはプレゼントだよ。
そう言うと、一抱えもある大きな七面鳥を手渡しました。
それから、いままで安月給でこき使って悪かった。
あすから給料を3倍にしよう!

スクルージーおじさんありがとう。
さあ、さあ、家の中にはいって、
一緒にクリスマスの食事をしましょう。

いいのかい・・・ありがとう。
家族そろってのクリスマスっていいね。

その日から、
嫌われ者のスクルージーは
町のみんなから愛されるスクルージーおじさんになったとさ。

2006年12月18日(Mon)▲ページの先頭へ
クリスマスと愛

クリスマスまであと一週間になりましたね。

大切な人のために、プレゼントを用意したり
クリスマスツリーの飾り付けをしたり
わくわく楽しみにしていることでしょう。

私が子供だったとき、
家にクリスマスツリーが飾られ、
会社帰りのお父さんがクリスマスケーキを買ってきて
家族みんなで食べた、そのような楽しい思い出があります。

真っ赤な帽子と洋服に身を包んみ
真っ白なお髭ののサンタさんが
プレゼントが一杯詰め込まれた大きな袋を背負い
トナカイに引かれたそりに乗ってやってくる。

真夜中にこっそり暖炉の煙突から降りてきて、
赤い靴下の中にプレゼントを入れていってくれる。

クリスマスは楽しい日ですね。

でもある人々にとっては、
クリスマスは憂鬱な日なのです。

ある調査によると65歳以上の40%には
親しい友達がいなく孤独な日々を過ごしているそうです。

そして高齢者の自殺者が多いのもクリスマスの時期です。

孤独な人にとって、クリスマスはつらい日なのです。

クリスマスの本当の意味は
イエス・キリストの誕生を祝う日です。

イエスキリストは、「愛」の大切さを教えました。

「神は愛なり。」

「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」

もしあなたの身内に、親戚に、そして身の周りに、
一人ぽっちで孤独な人がいるなら
これを機会に訪れてみてはいかがでしょう。

小さな心遣いがその人の心を癒します。

それが「愛」です。

2006年12月04日(Mon)▲ページの先頭へ
使命感

ある日イスラエルに三機の旅客機が同時に到着した。

一機はアメリアから、一機はカナダから、
そしてもう一機はイギリスからであった。

総勢500人。
彼らは観光国客ではない。
夫婦で、子供を連れて、家族揃って、
イスラエルに移民するためにやってきたのであった。

イスラエルは周囲を敵に囲まれて、安全ではない。
経済的にも豊かではない。

アメリカ、カナダ、イギリスなどの
経済的に豊かな、治安も安定している国を離れて
なぜイスラエルに移民してきたのだろうか。

彼らの先祖はイスラエル人である。
数百年数千年に渡って世界に散らされた。
そして今、その子孫達が、自分の国の将来のため、
自分の国の建国のために戻ってきたのであった。

ソ連が崩壊した1989年当時、
100万人規模で旧ソ連から
イスラエル人がイスラエルに移民してきた。

しかし今日では、移民の大部分は西欧諸国からである。

移民というと貧しい母国を離れ、
豊かさを求めて豊かな国へ行くのが普通であるが、
イスラエル人たちは違っている。

自分の使命感を持って、
わざわざ危険なイスラエルに戻ってきているのであった。

参考:ハーベストタイム
   2006年12月2日(土)放送の番組から

2006年12月03日(Sun)▲ページの先頭へ
カナン賛歌

いま中国で多くの人々に歌われ、
励ましを与えている歌がある。

すでに930曲もあり、さらに増え続けている。

それは「カナン賛歌」と呼ばれている。

いったい誰が作詞、作曲したのだろうか。

ある専門家は言っていた。
中国の最高峰北京大学や
音楽を専門とする音楽学院の学生でも
このようにすぐれた曲は作れない。

作詞・作曲したのは、
なんと中学も出ていない
貧しい農村に住んでいる少女であった。

彼女の家は貧しく、養女に出される予定であった。
しかし、養女縁組する予定の日に大洪水が起こり、
その話は自然消滅してしまった。

その後、この少女は誘われて、
キリスト教の小さな集会所へ行った。

祈っていると自然に口から歌が出てきた。

それを周りの人たちに教え、
一緒に歌うようになった。

歌詞も楽譜も無い。
口から口へと伝えられ、
中国全体に広まっている。

幼い少女は今は結婚し、
二人の子供を持つお母さんになっている。

写真を見ると30代ではないか思われる。

彼女は楽譜が読めないので、
今は小型のテープレコーダーを持ち歩き、
歌が思いつくとそれを録音している。

それを元にして専門家が楽譜に書き写している。

彼女はいまでも貧しい農村に住みながら、
中国の人々に励ましを与える
曲を次々と生み出している。

彼女は言っていた。

神様は学歴も無い、
貧しい農村に生まれ育ったこんな私を
用いて下さっている。

安らぎを感じさせる、
穏やかな笑顔であった。

2006年12月02日(Sat)▲ページの先頭へ


第一コリント13章1−8節

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、
愛が無いなら、
やかましいドラや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、
またあらゆる奥義とあらゆる知識に通じ、
また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
愛が無いなら、何の値打ちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、
また私の体を焼かれるために渡しても、
愛が無ければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてを我慢し、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。

2006年11月26日(Sun)▲ページの先頭へ
中国のクリスチャン

昨日、ひとつのドキュメント番組をDVDで観た。

市販されているので、どこでも手に入れることができる。

いま中国は大きく変わろうとしている。

なんとクリスチャン人口が爆発的に増えつつある。

すでに7千万人の人々がクリスチャンとなっている。

一日数万人の勢いで増えつつある。

キリスト教というと欧米の宗教というイメージがある。

しかし、世界最大のキリスト教会はお隣の韓国にある。

その教会では教会員が70万人もいる。

日曜日になると、
チャーターバスが列をなして礼拝に向う。

ソウル市内を車で走ると、十字架が林のようになって見える。

このような光景は、アメリカでも見ることができない。

韓国に引き続き、
中国が世界を先導するキリスト教国になる日が近いのかも。

2006年11月25日(Sat)▲ページの先頭へ
神はあなたを愛している

聖書に書かれていることを
一言でまとめるとしたら、
それは「神は愛なり」です。

神様はあなたを愛しています。

どんなに周りからいじめられていても、
友達が居なくて一人ぽっちでも、

仕事がうまく行かなくて悩んでいても
人生に挫折しても、

神はあなたを愛しています。

すべての問題を神様に委ねます。

すべての問題をイエスキリストの十字架につけます。

そしてその代わりに、
神様からの祝福を受け取れば良いのです。

イエスキリストが十字架に架かられたのは、
あなたの苦しみを身代わりに背負うためでした。

イエスキリストが流された血潮により
あなたの苦しみや悩みは解消されます。

あなたの心をイエスキリストに委ねるなら
平安が与えられ、また実際に問題も解決されます。

聖書はこのように言っています。

「私の目にあなたは高価で尊い。」

周りの人にどんな風に扱われようが
神様の目にとってあなたという存在は
他のものには変えられない貴重な愛の対象なのです。

聖書の神様だけに信頼して歩みましょう。

そこから希望が生まれます。

可能性が生まれます。

人生はやり直しができるのです。

2006年11月22日(Wed)▲ページの先頭へ
イエスキリストの名

十字架に掛けられて死んだイエスが甦ってから
すでに40日は過ぎていたであろうか。

イエスは天国へ帰られたので、
すでに地上には居ない。

そんなある日のことであった。

ぺテロとヨハネが午後三時ごろ礼拝のため
神殿に出掛けた。

当時のユダヤ人は一日3回神殿へ行き
礼拝するのが習慣になっていた。

イエスを信じるようになったとは言うものの
古くからのユダヤ人の習慣はそのまま受け入れていたのである。

さて、門まで来ると、足がなえた男が座っていて、
物乞いをしていた。

ペテロとヨハネが通り過ぎようとした時、
その男は何かもらえると期待し、
じっと二人を見ていた。

ペテロが口を開いた。

「私はお金を持っていない。」

その一言で、男は一瞬がっかりした。

ペテロはさらに言った。

「私はお金を持っていないが、
もっと良いものをあげよう。」

男はキョトンとした表情のままであった。
「お金が無い?」
「今日もおなかを空かしたままか・・・。」

ペテロは続けた。
「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」

すると男の足とくるぶしが強くなり、
するすると起き上がり、歩き始めたではないか。

周りの人たちがびっくりした。

「あの男は、数十年前前からここに座って、
物乞いをしていたではないか。」


このようなことが2千年過ぎた今でも起こっている。

つい先日のことであるが、
不治の病にかかり、視力が次第に衰え、
ほとんど失明状態になり、
また足腰も立たなくなり、
車椅子での生活を余儀なくされていた人が居た。

牧師さんが訪れてその人のために祈った。
その時は何も起こらなかったが、
数日後、目の手術で病院へ行った。

そして、まさに手術を始めようとしたそのとき、
患者さんが口を開いた。
「先生、いま私目が見えるようなのです。」

医者はびっくりした。
今日はもう帰宅していいですよ。

それから数日後、その方は足腰も丈夫になり
歩いて外に出ることができるようになった。

秘訣は一つ、イエスキリストの名によって祈ること。
これは忘れてはならない。

医者でも納得できない。
しかし、現実に起こってる。

2006年11月21日(Tue)▲ページの先頭へ
バラバス

紀元30年ごろ、イスラエルはローマ帝国の支配下にあった。

一人の男が牢獄に入れられていた。
その名は「バラバス」。

彼については詳しい記録はないが、
聖書に盗賊と書かれている。

彼は死刑になることが決まっていた。
当時の死刑はローマ法に基づいて
十字架に掛けられるという残虐な方法であった。

手足を太い釘で打ちつけ、
死ぬまでそのまま野ざらしにされるのである。

死刑執行の前日、彼はおびえていた。
看守が通るたびに、自分がそこから引き出されるのを
恐れていたからである。

看守の足音が聞こえてきた。
その足音は次第に彼の独房に近づいてきている。

彼の独房の前で、足音がぴたっと止まった。

「いよいよ最後の時が来たんだ・・・。」
バラバスの脳裏が恐れで一杯になった。

「バラバス出ろ!」

「いやだ!!」

「バラバスでろ!」
「お前は自由の身になったんだ。」
「とっととどこでも好きなところへ行ってしまえ。」

「・・・・・・」

バラバスには一瞬何が起こっているのかわからなかった。

ここから連れ出そうとしてるんだろう。
だまされるものか。

しかし、看守は、牢の入り口のドアを開けたまま、
襲ってくる気配さえも感じられない。

「大工のイエスという男がお前の身代わりに、
十字架に掛けられることになったんだ。」

「だからお前は死ななくて済んだんだよ。」
「お前は運の強い奴だな。」
「せいぜいイエスという男に礼を言っておくんだな。」

バラバスは恐る恐る牢を出た。
誰も彼を引きとめようとはしない。

周りは群集で一杯だった。

牢から出たバラバスは外で思いっきり新鮮な空気を吸った。

「あー確かに俺は自由になったんだ・・・・」

一人の男が足を引きずりながら、
自分が掛けられる十字架を背負ってバラバスの目の前を
過ぎ去ろうとした。

その十字架を背負っていた男が
一瞬バラバスの方を振り向いた。

そして、バラバスの視線と合った。

私の身代わりにこの男が死ぬ・・・。

2006年11月20日(Mon)▲ページの先頭へ
利己主義がもたらすもの

今の時代を見ると、世界中に飢餓が被っています。

経済の飢餓、平和の飢餓、希望の飢餓、愛の飢餓、
人情の飢餓に干からびています。

雇用の不安定が、ますます心の不安を掻き立てます。
挫折し、憎しみあい、イライラしています。

みんな急ぎ、神経質になり、失敗を重ねます。

自由に生きているようで、
実は自由ではないことに気がつきます。

社会は自分勝手に生きることができるようには
なっていないのです。

お金があると生活が乱れます。
女を買い、酒を飲み、ギャンブルに走り、
楽しみのすべてにお金を使い果たします。

今日はこの酒場、明日はあの料亭、
今日はこの女、あすはあの女、
今日はビール、あすはウイスキー、

肉の欲、目の欲、この世の誇りに生きようとするので
衝突が多くなります。

地球上では戦争の火がやむことがありません。

スターリンは自分の利己主義のために
自国の同胞を3千万人殺しました。

毛沢東は6千万人、
ヒットラーはユダヤ人を600万人殺しました。

利己主義によって人生に凶作になった人は
人生の意味と目標を失います。

心からの喜びも平安も失います。

そして、利己主義は人間を卑屈なものにします。

参考文献:「希望と共に」
著  者:チョー・ヨンギ牧師
発  行:純福音出版

2006年08月26日(Sat)▲ページの先頭へ
アブラハムから学ぶ人生の生き方

旧約聖書の登場人物の代表と言えばアブラハムです。

彼は創世記に登場しますが、

彼の生き方を理解できるなら、

聖書のすべてを理解したものと同じです。

彼の生き方から、3つのことが教えられます。

1.寄留民 2.水 3.墓場


1.寄留民

彼は一つの土地に定住することなく、
あちこちの土地を移動する遊牧民でした。

ここから私達は、この地上の生涯は
一時的なものであることを理解します。

したがって持ち物を増やすことばっかり
夢中になってはいけません。

この世から去るときは、この世に来た時と同様に
手ぶらで去るのです。


2.水

遊牧民にとって大切なものは水です。

水が無くては生きていけません。

私達にとっても、心が飢え乾いた状態では生きていけません。

心を潤してくれる水が必要です。

それがイエス・キリストです。

イエス様はおっしゃいました。

「誰でも飢え乾いているものは私のところに来なさい。」

「私のところに来るものは決して飢え乾くことがありません。」

イエス様のところに来ることによって、
心の飢え乾きを潤わせることができるのです。


3.墓場

人が死んでしまえば墓に埋められます。

墓場は人生の終着点でしょうか。

多くの人はそのように考えています。

死んだ、そしてすべては終わった。

しかし、そうではありません。

アブラハムは、死んだ後に来る未来について
墓場を通して希望を見ていたのです。

地上の人生を終えて、天国に迎えられる
その日を待ち望んでいたのです。

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2006年08月19日(Sat)▲ページの先頭へ
感謝の気持ちがあなたを富ませるキッカケとなる

「いつも喜んでいなさい。」

「絶えず祈りなさい。」

「すべてのことに感謝しなさい。」

(テサロニケ5:16−18)



クリスチャンは神様に祈る時、
「天のお父様」と呼びかける。

神様と人間は親子の関係と似ている。

不満ばかり言っている子供を見たら、
その親はどんな反応を示すだろうか。

いろいろなものをあげてるのに
文句ばかり言ってかわいくない奴だ。

勝手にしろ、もう知らんぞと言って、何もくれなくなる。

しかし、もし子供が、いつもニコニコ笑顔で、
「おとうさんありがとう」と感謝していたらどうだろう。

お父さんは上機嫌で、そうかそうか、
それならもっと良いものをあげようと、
もっと大きなプレゼントをもらえることだろう。

神様と人間の関係もこれと同じようなもの。

今あるものに感謝しよう。
健康をありがとうございます。
食事をありがとうございます。
住むところをありがとうございます。

このような感謝の気持ちが神様を喜ばせることになり、
更に大きな祝福が与えられる。


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2006年08月17日(Thu)▲ページの先頭へ
本物に出会う

本物に出会う

人生のどん底に落ちた時、
何に出会うかによってその後の人生が変わる。

本物に出会えば充実した人生を歩める。
しかし、変なものに捕まってしまうと、
とんでもない人生になってしまう。

十年ほど前に、地下鉄に劇薬をばら撒いて、
日本を不安に陥れた宗教集団があった。

その幹部グループが、一流大学の出身者であったので、
みんな驚いたものであった。

彼らがこの宗教集団に入ったキッカケは、
病気になって体調を崩したことであった。

この宗教集団に入ることによって、
病気を治すキッカケを掴んだのだろうけど、
その代わり人生の歯車が狂う道を歩むことになってしまった。

これと対照的なのは、世界で一番大きな
キリスト教会の牧師として活躍している
チョーヨンギ牧師である。

彼は19歳の時に肺結核にかかり、
あと3ヶ月の命と宣告された。

そのとき、聖書に出会ったのがキッカケで、
奇跡的に健康を回復しただけでなく、
いまでは世界中のキリスト教会のモデルとなっていて
すばらしい活躍をされている。

本物に出会う。これが大切。


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2006年08月11日(Fri)▲ページの先頭へ
平和の祈り(アッシジのフランシスコ)

平和の祈り(アッシジのフランシスコ)

主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。

憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、

分裂には一致を、疑いには信仰を、誤りには真理を、

闇には光を、悲しみには喜びを、もたらすことが出来ますように。

主よ、慰められようとするよりも慰めることを、

理解されようとするよりも理解することを、

愛されようとすることよりも愛することを、

求めるようにさせてください。

自分に死ぬことによって自分を見出し、

自分に死ぬことによって、永遠の命を受けるのだから。

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2006年08月10日(Thu)▲ページの先頭へ
地獄への入り口

こんな夢を見た。

10年前に職場で嫌がらせをしたあの上司がそこにいた。

私はその場を逃げ出し、坂を登ると消防署があった。

私は尋ねた。
「この辺に警察署はありませんか。」

消防署員は答えた。「いえありません。」

私はすがる思いで頼んだ。「私を保護してください。」

消防署員は答えた。「いいですよ。」

なぜかすぐそばにあの嫌な上司の取り巻きの一人が居た。
そしてあの上司がいつの間にかやってきて、ニヤニヤしていた。

嫌味を言い始めた。
「お前は仕事をサボって午前中に2時間しか仕事をしていないではないか。」

そこにその上司にいじめられてすでにこの世を去った人の霊が現れた。
白いベールで覆われていて、体に鎖を巻きつけていた。

その霊があの憎たらしい上司と取り巻き二人に鎖を巻きつけた。

そしてゴーゴーと火が燃え盛る、火葬場のような入り口に引きずり込んでいった。
それは地獄への入り口だった。

その場面を私は何故か上から見ていた。

そこで目が覚めた。

午前3時を少し過ぎた頃だった。

なぜか今まで胸につかえていたものが消えてさわやかな気分になっていた。

あの上司のせいで職場を去っていた人たちが多かった。

私も嫌がらせを受けながら3年間我慢したが結局耐えられず、
10年間勤めたその職場を去った。

人生を狂わされたその憎しみがスーと消えた一瞬だった。
もしかしたその時刻にあの上司は本当に死んでしまったのかもしれない。

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2006年08月09日(Wed)▲ページの先頭へ
豊かに生きる三つの知恵

それは三つのS「えす」に代表される。

シンプル(簡素)、スロー(ゆっくり)、そしてスモール(ちいさい)

ひとつづつ説明しよう。

まず、シンプル(簡素)
これまで私達の社会は物質的な贅沢を求め、走り続けてきた。
その結果、私達の周りはあふれるばかりの物でいっぱいだ。

ところがどうだろう。
物は増えたが、心が空虚で悩みを抱えている人があふれかえっている。

どんなに身の周りをぜいたく品で埋め尽くしても、
心を満たすことはできないのだ。

今あるものに満足し、まだ十分使えるのに、それを捨てて
新しいものに買い替えるような無駄なことはやめよう。

二つ目はスロー(ゆっくり)
忙しいことがまるで美徳であるかのような挨拶を交わすことはもう止めよう。
飛行機や新幹線での移動が当たり前になって、
時間を節約できて余裕ができるはずだったのに、
かえって忙しくなっている。

その結果、ストレスを溜め込んで、周りに当り散らし、
対人関係がぎすぎすしてしまっている。

もっと生活のペースを落として、ゆっくりしようではないか。

三つ目はスモール(小さいこと)
右肩上がりの経済成長を目差し、去年よりも今年こそ、
今年よりは来年こそ、とにかくより大きくなることがよいことであるかのような
幻想を抱いていた。

しかしお金を持ちすぎると、心配事が大きくなり、
やってはいけないことに手を出して、人生を踏み外すことになる。

今の生活で足りる、満足する知恵を持つべきである。

持ちすぎたお金は、足りないところへ分け与えればよい。
そうすることによってお互い助け合うことを学ぶことになる。

金持ちが永遠に金持ちであり続けることはありえない。
いつかはすべてを失って没落する時が訪れる。
その時になって誰も助けてくれないとぼやいても遅い。

いま助けておけば、自分が困った時には助けてくれるものだ。
それが社会というものである。

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2006年08月08日(Tue)▲ページの先頭へ
中東に平和は訪れるだろうか。

イスラエルとその周辺の諸国との戦争は
最近始まったものではなく、数千年前からの争いなのだ。

そもそもの原因は、イスラエル民族の父といわれている
アブラハムの家庭騒動にある。

アブラハムとその妻サラに子供が無かった。

子供が無ければ、財産は他人に渡ってしまう。

一計を案じたサラは、
奴隷の女ハガルにアブラハムの子を生ませて、
自分の子供として育てることにした。

奴隷の女ハガルに男の子イシュマエルが授かった。

その後正妻サラにも男の子が生まれた。
名前はイサク。

相続財産をめぐって家庭内で混乱が起るのは当然。

ある日、イシュマエルがイサクをいじめたのをキッカケに、
奴隷女ハガルとイシュマエルは家から追い出された。

それ以来、こんにちにいたるまで、
イシュマエルとイサクの子孫は、
遺産をめぐっての兄弟げんかをしているのである。

数千年に渡って引き継がれてきた争いなのだから、
そう簡単にはおさまらないだろう。
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